2014年12月4日木曜日


月刊生涯学習通信
 第180

                       発行日:平成2612
                       発行者: 三浦清一郎

縁の不思議—乳幼児教育の表彰基準



 20年も前に九大医学部で行なった講演のご縁で声をかけて頂きました。小生は、3つの提案をしたそうです。もちろん、本人は何も覚えておりません。
第1は、体験の欠損が現代っ子の人生を損ねる。第2は、発達の基本は体力と欲求不満耐性である。第3は、指導者が描く子ども像と指導指針が一致しなければ、「家風」も「校風」も吹かない。時代はこの3つをすべて欠いている。
 20年前の提案のお陰で、「すこやか母子未来ネットワーク」という一般社団法人の事業評価委員に任命して頂きました。理事長さんは産婦人科の医師で、名称からお分かりのように乳幼児を対象とした「保育・教育」を改善しようという団体です。主たる事業は、福岡県内幼稚園・保育所、子ども劇場など乳幼児保教育の分野で顕著な仕事をしている団体を選定して褒賞することです。図らずも、小生は「選考委員長」に押されました。当然、選定には評価基準が必要になります。過日は、第1回の表彰式があり、優秀な保教育関係者の表彰を行ない、合わせて次年度以降の「審査基準」(案)を公表することになりました。お集まりになった乳幼児保教育の何人かの関係者から原案に「賛成」であるという声を頂きました。考えてみると、表彰事業の審査基準の公表は何百回もの講演に相当する影響力があることに気付きました。頂いたご縁の有り難さが身に滲みました。以下が提案した審査基準の原案です。



幼児教育施設の評価基準(案)—(社団法人)すこやか母子未来ネットワーク
 今、子どもたちの健全な発達が危機に瀕しています。立っていることも座っていることも苦手、人の話を聞けない、がまんができない、大声で騒ぎたてる、集中できない、などなど。
育児に困難を感じる保護者はますます増え、学校は小1プロブレムに手を焼いています。これらは子どもの「弱さ」の表れであり、生まれてからのしつけや教育のどこかに問題があったと考えられます。「弱さ」を抱えたままでいると、成長に伴う環境変化のストレスに対応できず不適応となります。これが今話題の「新型うつ病」や心身症にもつながりやすい要因です。
保護者も保育・教育者も、今こそ「子どものために」発達の原理をふまえ、心身機能を「鍛えて強くする」という視点をもつことが必要です。

1 鍛えようとする視点と実践はあるか?

(1)心身の鍛錬をしているかー指導プログラムにおける心身への負荷は十分か?
(2)社会規範重視の教育—規律と礼節は守らせているか?
(3)集団指導の重視—集団行動と集団への適応訓練はおこなわれているか?

  「生きる力」の基本条件の重視

1−1 体力の錬成
人間に限らずあらゆる生き物の生きる力の基本条件は個体の「体力」です。それゆえ、乳幼児期からの遊び、運動、食事などを通した「体力(行動耐性)」を錬成しなければ「生きる力」は向上しません。

1−2 「がまんする力」を育てる

 社会生活はルールと規範意識によって、秩序を維持し、共同生活を実現しています。それゆえ、社会生活には、「やりたくても、やってはならないこと」、「やりたくなくても、やらなくてはならないこと」があります。その規範意識の基本が「がまんする力(欲求不満耐性)」です。然るに、子どもの日常に「負荷」をかけてがまん強くするしつけと教育指導を継続しなければ、社会に適応することは出来ません。
1−3 集団活動への適応を促す

 子どもは社会で生きて行く以上、集団への適応は不可欠です。行動耐性も欲求不満耐性も集団活動に適応しようというプロセスで自然に培われて行きます。同年齢、異年齢に限らず幼児期の能力・機能は集団活動を通して飛躍的に向上します。規範に従って自覚的、意志的に集団で行動することが出来るのは、社会的動物である人間だけです。それ故、集団訓練は規範意識の確立にとっても決定的に重要なのです。

2 鍛えるプログラムの裏側の安全への配慮は十分か?

(1)安全方針の確立—何をどのように表現・表示・周知しているか?
(2)安全条件の整備—何を、どのように工夫しているか?

安全の重視

 「生きる力」の基本条件を鍛えるということは、「負荷」をかけるということです。筋肉に「負荷」をかけ、心肺機能に「負荷」をかけます。頭に「負荷」をかけ、精神に「負荷」をかけ、気持ちに「負荷」をかけます。「負荷」とは「通常以上に頑張る」という意味ですから、安全への配慮が重要になるのです。
 安全の原則は、海水浴の赤い旗のように「事前の診断」と「ルールの徹底」と「心配り」です。

3 指導者集団のチームワークは取れているか?

(1)指導方針は明確で具体的か—何をどのように表現・表示しているか?
(2)指導方針は共有されているかー何をどのように工夫しているか?
(3)チームワーク維持の努力は日常化されているか—日常指導の報告、連絡、相談などは行なわれているか?

 家風も、校風も関係者の指導方針と指導方法が一致していなければ、「吹く」ことはありません。教育の風が吹かなければ、子どもは自ら学び、自分が置かれた環境に「感化」される度合いが少なくなります。個々の指導者が育てる以上に、「風」は子どもを育て、子どもは「風」に学ぶのです。

4 保護者など関係者への「指導方針」の説明と情報の提供は十分なされているか?−発表会、報告会、広報などはどのように工夫されているか?

 自己都合を優先する時代の幼少年教育は、保護者の同意と納得が不可欠です。「先生」が「子宝」に対する「守役」であった時代は、世間にも「守役」の任務に対する共通理解と彼らへの尊敬がありました。
 しかし、戦後の多くの教師は、自らを「労働者」だと宣言し、「守役」を降りました。その時から、教育は「聖職」ではなくなり、親や世間の教師に対する、信頼と尊敬が失われました。現代の学校教育は、要求や不満の対象ではあっても、尊敬と敬意の対象ではなくなったのです。それゆえ、モンスター・ペアレンツが跋扈するようになったのです。
 また、「守役」を降りた教師の多くは、大学や教育行政が導入した欧米流「児童中心主義」を掲げて、子どもと対等になり、友だちのような関係が広がりました。「友だち」は、指導対象の子どもに「負荷」をかけることはできません。楽しいことは一緒にできても、「子どもの嫌がること」を指導することできません。子どももまた、親が尊敬していない教師の指導には従いません。
 それゆえ、指導方針の「前面」に「指導者への尊敬」と「鍛えること」を明示し、指導の原則に同意してもらうことが決定的に重要です。指導の結果、子どもが望ましい方向に「変容」すれば、現在起こっているトラブルの殆どは避けることができるでしょう。

生涯現役の分水嶺
—後期高齢者まで辿り着いて、なお現役であれば、「評価」が変わる!!
「年だから難しいだろう」から「年なのに頑張っているじゃないか」へ—
1 「壮年期」の遺産で生きた時代



 仕事を辞めた後、「定年ショック」で大いに苦しみました。しかし、「月刊生涯学習通信「風の便り」を創刊して、読者と繋ぐ執筆の勉強を始めてからは、心身の自律と自立を取り戻して、第2の人生を生き始めました。朝は、犬を連れて公園の森を歩き、夜は市民プールで1,000メートルを泳ぎ、空き時間に本を読み、退職後の「自由の刑」と必死に戦いました。59歳から65歳までは、まだ過去の勉学や体験の蓄積があり、身体も壮健で、未だ「老いは来ない」という幻想の上に暮らすことが出来ました。執筆や研究成果が社会の承認を得て、各種の講演や会議などにも呼んで頂きました。組織を離れたので、「一匹狼」になった気分で、研究と思索の結果を月刊の通信に公表し、与えられた実践の舞台でまだ衰えない心身の力を試行錯誤の実験に投入しました。書いたものが学文社の三原編集長に認められ、晩学者も未だこの世の「無用人」ではないと励まされ、生涯現役の研究者として生きる道が見えました。しかし、文科省の政策や福岡県の事業批判などを繰り返すうちに、東京と地元の仕事から「干される」ようになりました。年齢が65歳を超えた時、心身の衰弱を己自身が感じるようになりました。



2 危機の加速、老化が加速する季節



 65歳から70歳までの5年間、社会の基準で「高齢者」となり、自身も「高齢者である」と考えるようになりました。高齢者の「レッテル」が内外共に成立した瞬間から、社会人としての危機と老化が同時進行で加速します。
 一つは年齢による「認知の変化」です。法律上は別として、世間の認知で、高齢者は一人前の社会人ではなくなります。「年寄りの冷や水」も、「老いては子に従え」もどこかに生きています。シルバーシートが用意され、映画館も安くなり、70歳からは医療費も1割負担に変わります。藤沢修平の言う「世の無用人」と見られるようになります。
 第2は、実質的な心身の機能低下です。「老い」の自覚症状も顕著になります。気持ちの上では、「年寄りは引っ込んでろ」という風をひしひしと感じました。友人が企画してくれる月例の「生涯教育フォーラム」だけが確かなよりどころになった時期でした。しかし、同時に、思いがけぬ遠いところに書籍や通信を通して、小生の立論を評価して下さる方がいて、辛うじて活動の「急落」を食い止めることができました。この方々は小生の激しい言動や衰えを「目撃」していないからでしょう。小生を知らないある会場では、「よぼよぼでなくてよかった」とか、「もっとおっかない人かと思いました」などという感想を言われました。
 「天は見ている」と思いたかったのですが、事実は単に運が良かっただけのことでしょう。世間から見捨てられ、孤立するという危機意識に背中を押されて、勉強に集中し、執筆のスピードを上げ始めたのはこの時期です。日々の運動は続けましたが、英語指導のボランティア以外の社会的活動はすべて切り捨て、研究執筆に関連することだけに集中することにしました。「選択と集中」が、効を奏し、心身の健康とエネルギーを支えたことは明らかだったと思います。しかし、講演依頼の推移を見れば、小生の現役としての活動に、黄色信号が点滅し始め、やがて赤信号に変わることは目に見えていました。



3 70歳の赤信号



 70歳になると赤信号が点滅し始めました。講演依頼がめっきり減りました。小生の生年月日を見ただけで、人々の目に「この世の無用人」が明らかになったということです。「過去の人」になりつつあり、「過去の仕事」で表彰を受けたりするようになりました。本人は「現役」のつもりですから、未だ「過去の人」ではないと主張し、不遜なことですが、表彰状はすべて投げ捨てました。
 振り返って、70歳からの3年間は分水嶺にさしかかったのでしょう。引退後13年、「風の便り」も13年目に入りました。歩き方、話し方、日常の所作が年寄り臭くなって行くことは自覚症状がありました。外部的にも、心身の衰えが顕著になったせいでしょう、誰もが小生を老人と見るようになりました。疲れ易くなり、散歩で転んだりしました
 加えて、70歳の時に、妻が亡くなり、一人暮らしになりました。日々の暮らしに時間と手間を取られ、毎日のプール・トレーニングを断念しました。「男やもめにウジがわく」の通り、むさ苦しくなり、肉体の覇気が衰えるのは当然でした。学文社の編集長が引退して、新しい編集者から、以後、小生の原稿は出版しないという通知が来たのも70歳でした。講演の依頼もますますじり貧になって行きました。「風の便り」も、IT時代になって「メルマガ」の希望が多くなり、毎月印刷費の赤字が出るようになりました。 
 小生に限ったことではないのでしょうが、70歳は生涯現役の曲がり角です。頼みは小生の研究や論評に対する少数の賛同者だけになりました。暮らしも、外部の仕事も、出版も八方ふさがりになりました。こういうときは、見栄を張って、やせ我慢をし、ジタバタもがき続けるしかありません。
 暮らしの面では、街の知り合いが事務局にいたので、シルバー人材の方に日常の家の掃除だけはお願いすることにしました。ありがたいことに、友人の紹介で、最初の300部を自分で販売するという条件で、引き受けてくれる新しい出版社が見つかりました。プールの代わりに朝の散歩と午後のエアロビックス(自分はエアロビックスのつもりですが、人は「タコ踊り」と言います)を組み合わせて、時間を節約しています。「風の便り」は200号までと決め、あと1年半で打ち止めにすると読者に宣言しました。



4 活動の連鎖



 70歳から73歳の途中までが一番苦しく、衰えて、落ちて行く自分を叱咤しながらほそぼそと書きつづけました。書いているお陰で、細々と「座敷」へのお呼びが続きました。「座敷」に呼んで頂くお陰で社交が途切れず、社交のお陰で耄碌を食い止め、小生の所論を認めて下さる人々との幸運な出会いが続きました。
 73歳の後半から気付いたことがあります。行くところ行くところ、お客さまは別ですが、小生は主催関係者の中の最年長現役(または予備役)であることが多くなりました。どの教育長よりも、どの公民館長よりも年上です。「おいくつになりますか」という質問も多くなりました。改めて、年功序列日本社会の恩恵を受けるようになったのです。この辺で踏みとどまれるか否かが生涯現役の「分水嶺」になるのだと思います。隠居仕事では勝負になりませんが、後期高齢者に近づいてまだ現役と同じ務めを果たすことができれば、別の「見方」が発生するのです。「分水嶺」とは、人々の受け止め方が変わって来る「年齢」を意味します。振り返ると「分水嶺」は二つありました。60代の後半から、小生に対する人々の認識と処遇は、「もうかなりの年だから難しいだろう」というものだったと思います。退職後の10年は、「無用人」に転落するか否かの「分水嶺」とでも呼ぶべきでしょうか?70代にはいれば、自己破産が始まります。社会が高齢者として認識し、「老人」であると評価をすることは決定的になります。「老衰」、「老残」、「老朽」、「老獪」、「老耄」、「老害」、「老骨」等に代表される老人です。
 年が明けると、小生は74歳になります。後期高齢者を目前にして、「現役」を続けていると、再び人々の認識が転換します。「年なのに現役を張っているのはやるじゃないか」というように変わって来るのです。
 今年の後半から、徐々に講演の依頼が増え始めています。しかも大規模講演の口が増え始めています。昔以上に歯に衣着せぬ激しい批判を繰り返しているのですが、人々は「生意気」だと思わなくなったようで、熱心に耳傾けてくださるようになりました。



5 後期高齢者に対する好意的評価の循環



 80歳を過ぎた訃報には誰もが好意的です。高倉健も菅原文太も、最後まで活動的であったが故に、世間の好意に包まれました。後期高齢者の頑張りは、「年寄りの冷や水」や「生意気」の臨界点を通り過ぎたということでしょう。
 小生に対する評価の風向きが変わって来たのは、年2冊に執筆のスピードを上げたことも一因かも知れません。後期高齢者になれば、処遇はもっと良くなることでしょう。好意の循環は次のように起こるのだろうと思います。
 衰えをがまんして、諦めず、めげず、ぶれず、怠けずに「現役を続ける」→年をとっても、ほそぼそとでも「お座敷が途切れない」→「集まり」の中の現役最高齢になって行く→「あの年でまだ頑張っている」・「きっと何者かなのだろう」と世間の評価が変わる→「お座敷」が増える→社会的承認を得たことで、「張り切って、書くことができ、現役も続く」。
 読み、書き、体操、ボランティアが生涯現役の原則であることは変わりません!!白内障と緑内障を併発して、目は半分盲目ですが、倒れさえしなければ、世間は「有用人」として評価してくれます。犬たちとの散歩とタコ踊りを欠かさず、身体を鍛えて、がんばります!!2015年もよろしくお付き合いください。



§MESSAGE TO AND FROM§
 季節外れの寒波だそうで、犬たちとの散歩の途中から、何度も冷たい時雨に会いました。さっきまで陽が射して晴れていた空からあられが落ちて来た時は神様を恨みます。これが人生ですね。先のことは分かりません。次々と有名人の訃報が続き、やがて来るであろう自分の死を予感して眺めると季節の風景にも、みな様のお便りにも、特別の感慨が涌きます。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

東京都 瀬沼克彰 様
 2年分の通信費は困りました。2年先までは見えず、生きる自信もありません。1年ずつでご勘弁下さい。途中で倒れてもご容赦ください。そういう体調になりました。ご紹介いただいた「地域社会研究所」に助けられて、「晩学」は少しずつ前に進んでいます。来年の1月15日に新刊が出ます。

山口県長門市 橋本扶由子 様

 筆が進むときは時々飯を喰う暇も惜しくなります。だから 小分けして冷凍した油谷のしらす干しに助けられています。楊貴館の露天風呂の朝焼けを思い出します。お元気を取り戻されてなによりです。「母ちゃんの子守唄」を読ませて頂いたので、次ぎの次のその次の出版で小生の「詩歌自分史」をお見せしたいと考えています。お見舞い身に滲みました!それまでは生きなくっちゃ!

千葉県千葉市 賀久はつ 様

 驚くべきエネルギーとご活躍ですね。通信紙「はたおと」を拝見いたしました。懐かしい井口潔教授のお名前も見つけました。見習って後に続きたいと思います。

埼玉県越谷市 小河原政子 様

あなたもお元気、小生も元気。社研コンビはいつまで元気に並走できるか?自分自身との勝負の季節に入りました。

福岡県筑後市 江里口 充 様

 「風の便り」のバックナンバーを処分して捨てました。ちり紙交換でティッシュ・ボックスを3つもらいました。断捨離を実行して旅支度です。昔、自転車旅行の途中で疲れ果て、ペダルを踏み続けることだけが目的になったことがあります。せっかくの知らない土地の旅の筈だったのに、旅をすることだけに囚われ、風景にも人間にも興味を失いました。「風の便り」の終わりを決めました。「進む」ことだけを目的とした若かった日の徹は踏むまいと考えました。

大分県日田市 財津敬二郎 様

 いつも「生涯教育フォーラム」を応援して頂きありがとうございます。県のボランティア研修会が実現したら駆けつけます。来年もお互い元気に行きましょう。

山口県宇部市 中村和夫 様

 あなたは友人たちのどの企画にも参加され、見守っていて下さることを知りました。あなたの社会参画の仕方は仲間を励ます特別の意味があります。私の福岡の仲間も、皆さんに来て頂く大会の恩返しを兼ねて近県の移動フォーラムに出向くことが多くなりました。この形式は自分たちが工夫したと思っていましたが、「原形」はあなたの発明だったですね!!応援に感謝して頑張ります。

広島県尾道市 杉原 潔 様

 徳地はご苦労様でした。赤田先生と上野主任指導員の奮闘で良い研修ができました。来年は10周年です。瀬戸田の山火事の話は身につまされました。火事を消している消防士の横で焚き火をしている高齢者は、惚ける仲間の横でのんびり暮らしている高齢者と同じです。当事者意識を失っているのでしょう。緊張感を失った高齢者は、本人にとっても、社会にとっても恐ろしいことです!

福岡県北九州市 帖佐紀美子 様
 15年も昔にお会いしていたのですね!32号の「風の便り」は先日捨てました。死に支度です。介護予防カレンダーがお役に立っているようでうれしく思います。お年を伺って同い年だと分かりました。励みにして頑張ります。

過分の郵送料をありがとうございました。



福岡県福津市 脇野久美 様
千葉県千葉市 賀久はつ 様
山口県宇部市 中村和夫 様
福岡県宗像市 久保誠一 様
埼玉県越谷市 小河原政子 様
山口県田布施町 高下初枝 様
大分県日田市 財津啓二郎 様
東京都    瀬沼克彰 様
福岡県宗像市 赤岩喜代子 様
福岡市    菊川律子 様
北九州市   山本隆司 様
島根県松江市 澤 アツ子 様
福岡県筑後市 江里口 充 様
福岡県太宰府市 大石正人 様
山口県長門市 橋本扶由子 様



寂しいねぇ!年寄りは!!
寂しい日本人の大量発生

 個人の自由は、工業と流通の拠点が集積した都市が推進しました。都市型の考え方、都市型の人間関係は、時を経て、農山漁村にも浸透し、最終的には全日本人のライフスタイルの都市化が進行しました。共同体の衰退はライフスタイルの「都市化」として現象したのです。都市化を支える思想の原点は個人の自由と自立です。それゆえ、都市化を受け入れた人々は、組織の束縛も、他者からの干渉も嫌いました。一方、自由と自立を主張する以上、個人の生活や行動が行き詰まったとしても誰も世話はしてくれず、独りぼっちになっても誰もかまってはくれません。自らの工夫と力で生き甲斐を探求し、他者との連帯や絆を築いて行ける人は自立と自由を全うできますが、それができなければ、時に、自立は孤立に、自由は孤独に転落します。「さびしい日本人」が大量に発生するのはこの時です。社会学者は「孤独な群集」と呼びました。

荒れたくなるぜ!!

倅:義男!LEDがノーベル賞もらったぞ!知っとるか?
義男:これLEDよ。うちのおじいちゃんとどっちが長持ちするかなぁ?
倅:どっちかな?
オレ:ふん・・・・・!

嫁:お父さま、新聞に社会人入学の案内が出ていましたよ。
オレ:「社会人入学」っちゃ「世間」のことを教えんのか?80まで生きた奴に誰が教えんのか!
嫁:違いますよ!社会人が学生になっていろいろな専門分野を学ぶことです
オレ:そん中に「死に方」はあるのか?
嫁:ある訳ないでしょう!!
オレ:だから大学なんぞ役に立たねぇって言ってるんだ!

孫:おじいちゃん、「まだ行かないの」と「もう行くの」とどう違うの?
オレ:子どもの聞くことじゃねぇ!!
孫:・・・・?

孫:学校の帰りに吉田さんに会ったよ!おじいちゃんどうしてるかって?
オレ:おまえ、なんてった?
孫:家事見倣い、って。
オレ:(そういうことか・・・・!)

孫:おじいちゃん、家系ってあるの?
オレ:長生きの家系とか病気の家系とか色々あるそうだ。
孫:肥満の家系ってある?
オレ:そりゃあるだろうな!
孫:それでポチは太ってるんだ!!!
オレ:(それでお前はぺちゃくちゃしゃべるんだ!!)

孫:おじいちゃん!上腕三頭筋ってなに?
オレ:難しい名前知ってんだな!腕のここのところの筋肉だ。
孫:母さんのお腹の筋肉はなんていうの?
オレ:(菓子袋三頭筋か!!!)
孫:・・・・

医者:風邪ですね!!
オレ:ただの風邪ですか?何か併発するような風邪でしょうか?
医者:どっちにでも転びますね!!!
オレ:(誰だって言えらぁ、そんなこと!!ヤブ医者め!!!)

嫁:おじいさま、日記帳はどんなことを書いているんですか?
オレ:「きょういく」と「きょうよう」だ!
嫁:・・?
オレ:「行ったところ」と果たした「用事」だよ。単純な暮らしの記録だ。昨日は病院へ行ったこと。今日は銀行の用事について、だ。
嫁:病気とお金のことだけですか?
オレ:(「だけ」とはなんか!!お前のことも書いて欲しいか!!!!)

花子:おじいちゃん!しりとりやろう!!
オレ:またにしよう!!
花子:どうしてよ〜!
オレ:気が重くなる!!
花子:なんでぇ?
オレ:お前のしりとりは「糖尿」とか「腰痛」とか「おむつ」とか「便秘」とか「認知症」とかばっかりだ。
花子:ばあちゃんと母さんの話の聞き過ぎだ!!
オレ:(だろうな!!)

看護師:「お薬手帳」はどこですか?
オレ:あんなもんは捨てた!
看護師:まあ!災害があった時に、分からなくなりますよ!
オレ:災害が起きたら、「お薬手帳」とやらもなくなるだろう。無駄金使いおって!!
看護師:(ひねくれじじい!)
オレ:なんか言ったか?
看護師:これは朝起きて直ぐ。この3つは食後に。こちらは夜寝る前に。いいですね?
オレ:(今だって分かりゃしねぇ!!どれが何に効いてんだ!!!!)

オレ:みろよ!可愛い神社じゃないか!
倅:お参りするの?
オレ:風情がある、って言ってるだけだ!
倅:父さん、長生きより無病を祈って!!
オレ:無粋な野郎だ!!・・・(オレのことより、リストラと熟年離婚を心配したらどうだ!!)

息子の友人:今日はお揃いで!!
倅:オヤジがついて来いっていうんでね。
息子の友人:お父上はいつもお元気ですね。秘訣は何でしょうね?
倅:「鈍感」です。
オレ:・・・・・

司会者:次は美空ひばりの知られざる名曲「函館山から」です
歌手:「あなたはもうぉ〜」、「若くはない〜」と・・・
オレ:うるせぇ、若造!!!

お知らせ


1 第145回生涯教育まちづくりフォーラムin ふくおか
日時:平成26年12月20日(土)
場所:場所:福岡県立社会教育総合センター、
  〒811-2402 福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2
  TEL 092-947-3512  FAX 092-947-8029
2014年を振り返る:忘年例会になります。
事例発表:図書館が挑む!地域ネットワークの構築、飯塚私立図書館 館長 大石俊一氏
論文発表:高齢者の幸せの条件—暮らし方のアンケート、三浦清一郎

2  第146回移動フォーラムin島根
日時:平成27年1月10日(土)午後〜
場所:島根県益田市
プログラム:子どもフォーラム
 第1分科会 「アウトメディアと子どもの体験活動」
 第2分科会 「『弁当の日』と子どもの体と学力」
 第3分科会 「新たな子どもの育ちの場づくり~放課後児童クラブと放課後子ども教室~」
総括/論文発表:「無境界化」の本質は「規制緩和」ではなく、「領域の統合」、三浦清一郎

3 第147回移動フォーラムin長崎
日時:平成27年2月1日(日)
場所:自主グループ「オヤジ夜究教室」の周年事業と協働、
場所:検討中

4 人づくり・地域づくりフォーラムin山口
日時:平成27年2月14日(土)〜15日(日)
場所:山口県セミナーパーク(山口市秋穂二島1062(☎083-987-1730
  それぞれにご多忙であることは承知しておりますので、事前に日程だけ押さえて頂ければ幸いです。

5 大分県大会は例年2月の最終週末に行なわれますが、今年は未だご案内が届いておりません。例年通りであれば、2月28日(土)〜3月1日(日)となる予定です。

編集後記
誰かが見ている

誰かが見ているような気がして
振り向くとお前が見ている
“どうした”というと
一瞬やさしい目をして私を見つめ
小さく溜め息をついて両足の間に顔を埋める
初冬の陽射しが揺り椅子一杯に落ちている
お前は私のカーディガンを枕に仕合せな午後を生きている
お前も、私もすっかり白髪になった
生き物同士が助け合って生きるのは人生の原点
お前をひとりぼっちにするような入院はできない
共に老いを戦う我が戦友
とぼとぼとだが歩き続ける
花瓶に活けた水仙が香る
もの言わぬものたちへの慈しみで美しく老いることができそうだ
今日は少しだけ原稿が書けた

  2015年の「風の便り」更新のご案内(最終回)−あと2年頑張り、200号で打ち止めとすることを決めました。
いよいよ師走です。今年もお付き合いいただきありがとうございました。「風の便り」は1年更新です。2015年1月号から「風の便り」の実物(ハードコピー)をご希望の方は、住所氏名を明記の上、郵送料と印刷費の合計(170円×12ヶ月):年間2,000円を事務局までお送りください。また、「メルマガ」をご希望の方は、その旨をメールでご連絡いただければ、送付名簿に登録します。

 月刊生涯学習通信「風の便り」169号、cSeiichiro Miura、『編集事務局』三浦清一郎 住所〒811−4177宗像市桜美台29−2、TEL/FAX 0940−33−5416、E-mail  krsmiura@rj8.so-net.ne.jp
印刷:福岡コロニー