2016年10月4日火曜日

月刊生涯学習通信181号


月刊生涯学習通信
 第181

                       発行日:平成27
                       発行者: 三浦清一郎

「老後の幸せ」—条件のチェックリスト」

1「幸せの条件」は「生活技術」なのか!?

「はい」が半分を超えたら「危険」信号!?

「60歳からの幸せの条件」(石川由紀*)という本を読みました。表紙のうらに「幸せ」のための「小手調べチェックリスト」があり、「はい」が半分を超えたら「危険」信号と書いてありました。チェックリストは些末なことに渡っているので全部を写し取る気は起こりませんでしたが、以下の「囲み」の中は、著者の石川由紀さんが主張する「一人暮らしを幸せに成功させる条件」の主なものです。小生とは大分意見が違うので、小論の素材にしました。小生は、幸せの「基本条件」は「生活技術」ではなくて、「暮らしの思想」と「覚悟」だと思っています。思想と覚悟がなければ、仮に「はい」が半分以下でも幸せになれる条件にはほど遠いと思いました。


1 月々の支出を把握していない・・はい、いいえ
2 お金のことを何時も心配している・・はい、いいえ
3 節約なんてみみっちい生活なんかしたくない・・はい、いいえ
4 非常食は特に用意していない・・はい、いいえ
5 料理は面倒なので買って来ることが多い・・はい、いいえ
6 コンビニはよく利用する・・はい、いいえ
7 生活保護を受けるようになったら人生お仕舞いだ・・はい、いいえ
8 入院の準備は特にしていない・・はい、いいえ
9 高齢者施設には入らないので無知でもかまわない・・はい、いいえ
10 保証人がいないので困っている・・はい、いいえ
11 近所にろくな病院がない・・はい、いいえ
12 町内会や地域の催しは煩わしいので出ない・・はい、いいえ
13 遺書と遺言の違いが分からない・・はい、いいえ
14 自分の息子や娘はおやを見捨てたりはしない・・はい、いいえ
15 ライフスタイルはと聞かれても、特に何もない・・はい、いいえ
*石川由紀、なぜか誰も教えない、60歳からの幸せの条件「家族」にも「蓄え」にも頼らない日常術。情報センター出版局、2004年(抜粋)



1 老後の経済感覚−質素・シンプルに暮らせば「経済感覚」などなくて良い!

 Q1からQ3までは、老後の経済感覚を問うています。しかし、質素倹約の暮らしに特別の経済感覚は要りません。家計簿も要りません。
 小生の一人暮らしの中心発想は、「シンプル・ライフ」です。「質素倹約」・「質実剛健」は、老後の暮らしの大事な原則です。「格差社会」の犠牲者は別として、シンプル・ライフに徹すれば、物価の高騰にも、消費税のアップにもそれほど動じなくて済みます。電気の節約から、食い物を残さぬことまで、常に気を配り、決して贅沢はしません。幼少年期からの倹約の訓練が身に付いているので誠にあり難いことです。
 時に、遠くにいる息子から、「オヤジは未だ稼いでいるんだから、たまには温泉にでも行ってパーッとやりなさい」と助言が来ます。しかし、中々実行できませんね。遠い昔の父のしつけが一人暮らしの老いの日々に生きています。
 もちろん、子どもの頃に「質実剛健」の意味は分かりませんでした。意味が分からなくても大事なことは教えておくべきです。今頃になって質実剛健の教えの有り難さが身にしみます。まさしく、「教育的時差」というものです。質素倹約を教えられず、贅沢に慣れた「現代っ子」が、失業したり、老いを迎えて、欲求に手が届かなくなった時が恐ろしい気がします。「失業」も、「老い」も、心身ともに衰えが加速し、生老病死に直面する人生の危機ですから・・。  
 要するに、石川氏の言うアンケートの個別の設問より、今の自分の「身の丈にあった暮らしをする」、というしつけが身に付いているかどうかの問題です。粋で洒落た生活も文化なら、質実剛健・粗衣粗食も文化です。貯蓄や節約をはじめ、己の欲求をコントロールすることを学ばなかった人々は、「お金」の問題だけに苦しむのではありません。人生が満たすことが出来ない「欲求不満」に苦しむのです。「己の高すぎる欲求基準」や「満たされることのない日々」に苦しむのです。
 贅沢や気ままに慣れてしまったあと、生老病死の季節に、思いのままにならぬ事態に直面した時、苦しみから逃れる術は「欲を小さくする」しか方法はありません。「足る」を知れば、日々生起する花鳥風月のささやかなことが「充足」感をもたらします。脳神経科学が言っているように、「幸福だから感謝するのではない」のです。「感謝するから幸福になる」のです。もし、人生で感謝を学ばなかったとしたら、最大の失敗であり、現代教育が感謝を教えていないならば、子どもたちの未来の最大の失敗です。



2 「食」の自己管理はできるか?
 


 Q4からQ6は「食生活」が焦点です。人間に限らず生き物は食わなければ生きられません。エンゲルスの名著「家族、私有財産、国家の起源」ほか、家族の起源論はいろいろあるのでしょうが、動物の世界を見ても、人間の世界を見ても、家族は、子どもと「食を共にする」ところから形成されたのではないかと思います。それゆえ、「孤食」は危険なのです。年をとって一人暮らしになると、その危険な「孤食」が始まります。子どもたちが巣立ち、配偶者に分かれれば、「食」がひとりぼっちになるのです。
 一人暮らしの食は誠に不経済で、面倒で、しかも憂鬱で、精神的に危険です。だから、一人暮らしのコツは戦略的に「食生活」を発想しなければなりません。「戦略的」とは、「不経済」や「億劫」や「憂鬱」と戦うための計画という意味です。
 方法は、ビジネスがいうPDCA(Plan-Do-Check-Action)と同じです。医者がいう診断と処方も同じです。栄養を考え、好みの味を発見し、食材の背景にあるマーケットを理解し、毎日頭を使い、工夫を怠らないことが戦略です。特に、一人暮らしの自炊能力には「戦略思想」が凝集しています。もちろん、老後の経済にも、精神の安定にも直結しています。それゆえ、自炊能力は、節約と健康の基本です。
 豊かな食生活には、家庭料理の本を読みこなす能力も不可欠です。知らないレシピを試す探検の精神も不可欠です。「食」を好奇心の対象にするためには、工夫と挑戦が不可欠だからです。
 余った食材を冷凍しておけば、当然、アンケートの言う「非常食」の準備にも当たります。素材を無駄にしない臨機応変の料理術はボケ防止でもあります。買い物を通して日本経済の動きにも敏感になり、経済番組の解説もよく分かるようになります。だからコンビニはほとんど使いません。
 小生も、時に、一人でレストランに坐ることがありますが、人々のさざめきや群衆の中のひとりぼっちが身に滲みます。寂寥感は人それぞれでしょうが、石川氏のアンケートが生活の「利便性」にこだわり、「一緒に食事をしたり、語り合う相手はいるか」とか、社会と繋がるための「ボランティアはやっているか」など、社交や友人のことを聞いていないことは致命的な発想の欠陥だと思います。



3 「生活保護」はおしまいではない、しかし「自立」の精神を失えば、「おしまい」だ!!!



 Q7は社会に依存することをためらうな、と言っているのですが、小生とは発想が異なります。
 友人・知人・隣人の援助をうけるようになっても、生活保護を受けるようになっても、決してお仕舞いではありません。しかし、自立の精神を失えば「おしまい」だと思います。経済の問題に限らず、介護でも、社交でも、災害時の援助でも社会の世話にならずに生きようとする自立の精神こそが重要だと思います。アメリカの高齢者団体が「To Serve, not to be Served」(サービスを受ける側に立つよりは、サービスを提供する側に立つ)を標語にしているのは誠に天晴れだと思います。その気になって探せば、必要な情報は必ず見つかる時代になりました。個人の「選択」が老後の生き方の成否を分けます。生活保護が急増しているとニュースが報じていますが、何でも国に頼ろうとする現代人は安易に過ぎると言えば、酷でしょうか!


 
4 未来の高齢者が心配です





 現代の高齢者についても心配ですが、未来の高齢者は更に心配です。履歴書が空白になる「ギャップ・イヤー」とか「自分探し」とか言って、格好をつけることは出来るけれど、3年経っても未だニートだったらあんたはニートなんです!!自分探しをやるんなら、過激な「負荷」をかけて昔の武者修行をやればいい!!
 ニートのような人々を容認している親や社会は異常です。ニートの急増は、社会にとって、生活保護の急増以上に深刻です。何の訓練も受けていない彼らが中高年になって、彼らを庇護して来た親が死んだ時、おそらく定職はないでしょう。彼らは「権利」だと称して、「生活保護」の申請をすることでしょう!!高齢ニートが貧しいままで、憲法が保障する「文化的な生活」を要求するようになれば、税金の重荷で日本国は自ら滅ぶしかありません。
 彼らのような若者を放置してはならないのですが、「他律」の観念を教育から排除した現行の教育システムは青少年を鍛えることに無力です。現代の学校は、法律上の「人権概念」を教育に導入したことによって、ニートのような青少年に「鍛錬」を強制することができなくなりました。
 人権とは「自由意志」とほぼ同義だからです。「いやがる子ども」に「負荷」をかけることは、子どもの「自由意志」に反することであり、とどの詰まりは「人権」に反することだと言い募る人がいるからです。「人権」は、民主主義の原点であり、自由思想の原点です。だから、「人権」と「鍛錬」を天秤にかけて「鍛錬」を選べる学校はありません。厳しい教育的指導が人権侵害に当たると騒がれれば、教師は萎縮します。だから、学校は「人権」を丸呑みするしかないのです。それは子どもの「自由意志」を丸呑みするということです。
 ニートを放置する社会的風土を生んだのは学校であり、そうした学校を生んだのは、教育に法律上の人権概念を持ち込んだ人々です。   
 ニートは明らかに「鍛錬」の欠如が生んだ社会現象です。教育行政も学校も、子どもの「しつけ」を家庭に押し付け、「人権」の美名の下に子どもの欲求を過信し、結果的に、社会の視点に立った教育を放棄しています。もちろん、鍛錬の欠如は家庭の責任ではありません。教育行政や学校の責任です。
 「子宝」の風土の家庭が、子どもの意志に反するしつけや教育など出来っこないことは、日本の子育て史や教育史を振り返れば簡単に分かることではないですか!
 鍛錬は元より、教育の本質には「強制」と「矯正」が含まれます。戦後教育はこの2点を同時に投げ捨てたのです。
 犯罪者を刑務所に収監して、罪の償いをさせながら、社会復帰の矯正教育をすることを考えれば、教育の本質の一つが「強制」でり、同時に「矯正」であるということは自明なのです。人間社会にとって、「個人」が先にあるのでありません。「社会」が先にあるのです。それ故、社会の安寧を乱す人々は刑務所に入れるのです。教育は個々の子どもに合わせるのではなく、個々の子どもを社会に合わせるべきなのです。それが「社会化」です。「人権」を強調するのなら、己の人権より、他者の人権を強調すべきです。それが社会の側に立つということです。現代の学校は逆をやっています。だからいじめの被害者だけが泣くことになるのです。
 もちろん、ニートやへなへなの現代っ子は、犯罪者ではありません。しかし、「老人になったニート」を想像してみて下さい。子どもの意志や欲求にかかわらず、社会人としての心身の鍛錬や自立のための教育的訓練は不可欠なのです。
 子どもの自主性は「自分でやりなさい」と「強制」・「指導」するところから、「自分でする」ようになるのです。日本の家庭も、学校も、人間の「自律」は「他律」から生まれるという一点が分かっていないのです。



5 倒れた時にどうするのか?



 Q8からQ10は、倒れた時の準備はいいか、と聞いています。もちろん、高齢者は、生老病死に備えてある程度の情報収集と整理整頓だけはしておくべきでしょう。しかし、最後に力つきて倒れたとき、自身では何も出来ません。それゆえ、最大の問題は自分自身がどうするかではありません。頼れる人々の存在があるか、どうかです。
 いざという時の人間は無力です。「その時」が来た時には、準備も、手続きも、実行も自分では出来ません。だから、頼るべき人こそ重要なのです。「民生委員」もそのために配置しているのです。権勢を誇るものも、富める者も、自らの終末の始末だけは他者の手に委ねるほかはないのです。小生の好きな曹洞宗の教典には、「無常たちまちに至る時は、国王、大臣、親昵、従僕、妻子、珍宝たすくるものなし。ただひとり黄泉におもむくのみなり。己に従い行くはただこれ善悪業等のみなり」とあります。死ぬときは一人、誰も助けることはできない。己の生きた歴史を背負って行くしかない、と言っています。それにしても、「無縁社会」における民生員のシステムは頼りになりませんね!





6 新しい「縁」を開拓し続けているか?





 石川氏のチェックリストは、食の問題でも、介護の問題でも、他者との交流を聞いていません。老いの危機の多くは、「孤立」と「孤独」から発生します。高齢社会の問題は、従来の縁が先細りして行くことに起因して発生するのです。血縁の子どもたちの多くは遠く離れたところで暮らすようになりました。多くの親は子どもから離れたところで老いて行くのです。
 勤め先の縁も10年も立てば薄れるでしょう。地域は「無縁社会」ですから、向こう3軒両隣は消滅しました。現代は、「自己都合優先」で、「個人情報保護」ですから、誰もあなたのことを気にかけません。町内会の多くは形骸化し、組織率も低下の一途を辿っています。 
 小生も町内会の催しには滅多に出ません。煩わしいだけでなく、程度が低いのでばかばかしいのです。真面目に出ているのは「敬老会」だけです。「敬老会」は、若い世代が高齢社会をどのように見ているか、を知る時代の「リトマス試験紙」だと思うからです。今年の出席者は約50名中6名、男は小生一人、着飾った女性に交じって子ども騙しのダーツやパットゴルフをして優勝しました!!!若い世代はわれわれを「耄碌したアホ」だと思っているのでしょう。また多くの高齢者がこのような敬老会を喜んでいるとすれば、事実アホなのです!!大宅壮一に倣っていえば、ゲートボールのような軽い遊びに代表される安楽余生論が日本の高齢者を「白痴化」したのです。
 社交も交友も個人の選択の時代になりました。「自分らしく生きる」とはこの自由な「選択」が許されるようになったということです。もちろん、「選択」による自己都合優先が、他人を気にかけない「無縁社会」をもたらしました。それゆえ、無縁社会を突破するためには、自分を気にかけてくれる、気の合う人間関係を作り上げるしかありません。それ故、「活動の縁」が重要になるのです。何もしない老人に、近隣世間が何かしてくれる時代は終ったと心得るべきでしょう。町内会の交流はなくても、代わりの交流機会があれば問題はないと思います。しかし、活動しない高齢者に代わりの新しい交流の機会が訪れる筈はないのです。



7 「終活」をどう進めておくか?
 


 Q13は「終活」です。公民館で「死に方講座」を担当した関係で、小生はようやく「遺書」と「遺言」の区別がつくようになりました。しかし、一般の人は同じものだと思うでしょう。形は曖昧でも中身が「死後の対処法(遺言)」になっていれば、中身を無視するほど裁判所も野暮ではないでしょう。ただし、裁判所の証明が得られるためには(「検認」といいます)、自筆で書き、事前に第3者が「開けない」ことが原則です。
 また、妻の死で後始末にただならぬ時間とエネルギーを要することを自覚しました。心身の能力を失ったあとでは、あの膨大な後始末は、自分ではできなくなるでしょう。高齢者が日常生活の「断捨離」を実行して、シンプル・ライフを実現し、死後の処理を関係者にきちんと託す終活は不可欠です。断捨離の対象は、義理の付き合い、形骸化した儀礼や挨拶、手に余る活動などです。逆に、健康を維持し、生きがいを追求するため、特定の活動への「集中」と「選択」が必須です。



8 家族とどう付き合うのか?

 


 Q14は「親子関係」についてです。「子どもは見捨てない」という自信があれば天晴れというものです。しかし、調べてみれば明らかですが、現実には、多くの子どもが親を見捨て、多くの親が託老施設に放置されています。葬式ですら、「預けた年金」でやってくれと言う、子どもまでいます。
 子どもに面倒を見てもらおうという願いには、親の「依存心」が隠れています。子どもの側にも「孫のお守り」をしてもらおうと言う依存心が隠れています。
 民法における「家」の概念が解体され、儒教の教えが衰退した今、子どもが頼りにならないから「介護保険」が導入されたのです。子どももそれぞれの配偶者を娶って個別の事情の中で暮らしています。それ故、親の思ったようにはならないと思うことが大事でしょう。人生の始末は自分でつけるしかないのです。小生の知っているアメリカの親の多くは「一人で死ぬ」という覚悟をしています。この覚悟ができていなければ、日々不安や恐怖に苛まれて、幸せな老後・穏やかな時間を過ごすことは無理でしょう。



9 ライフスタイルこそが最大の課題です
 


 石川氏の設問群の中で、Q15の自分のライフスタイルがないことこそ最大の問題です。老後の充足感も健康寿命も日々の暮らし方・老いの覚悟の関数です。暮らし方が適切でなければ、健康も幸福も得られないでしょう。「覚悟」ができていなければ、衰弱も孤立も自分だけに降って来た不幸だと思いかねません。衰弱も孤立も老いの宿命です。老後の覚悟と暮らし方が不適切であれば、この「宿命」が「幸福」を破壊します。
 健康寿命は「読み書き体操ボランティア」から生まれます。生きがいは、活動の成果と社会の承認によって支えられます。最新の脳科学の研究によれば、幸福は感謝の念から生まれ、感謝は「あなたに会えて良かった」という言葉から生まれます。それを言ってくださる方々は「同好の縁」「学縁」、「志縁」の友人・知人です。それが老後のわれわれを支えてくれる人間関係のネットワークです。「こんな風に生きようとしています」と、日々の目標と活動と日課を答えられなかった人はやがて健康寿命を失い、孤独と孤立の中で滅びます。老いは生易しいものではないのです。



II  老年学者のチェックリスト

 ここからは筆者のアンケートです。「はい」が半分なかったらあなたの老後の幸福の条件は破壊され、悲惨な高齢期を送らざるを得なくなります。

1 日々「読み、書き、情報収集、便り」の努力はしていますか・・はい、いいえ

2 半年または一年後の行動目標・達成目標を決めていますか・・はい、いいえ

3 「貯筋」を初め、毎日、身体を動かして、意識的に筋肉、関節、心肺機能などの手入れをしていますか?・・・はい、いいえ

4 いつでも会食や社交に誘える友人・知人をお持ちですか・・はい、いいえ

5 高齢期の「断捨離」は不可欠です。義理や慣習的儀礼から自由になって、自分の意志で「選択的に」、「マイペースで」、「継続して」活動してますか・・はい、いいえ

6 炊事、洗濯、掃除、生活事務、その他の整理整頓など自分の暮らしは自分でできますか・・はい、いいえ

7 だんだん心身は衰え、生活範囲も縮まりますが、人間もまた自然の一部、四季折々の風物を愛でていますか・・はい、いいえ

8 色々あったでしょうが、あなたの人生は結論として「合格」であり、感謝の念をもって暮らすことができていますか・・はい、いいえ

1  司令塔を守れ!
 


 問の1は「頭」を守るためです。
人間行動のあり方を決定するのは頭だからです。頭は人生の指針を決める司令塔です。脳生理学や精神医学によれば、精神も心の持ち方も頭が決めます。人生のすべてを判断するのはあなたの頭です。高齢期に不可避的に衰えるのは肉体であって、頭は必ずしも同じようには衰えません。頭も筋肉と同じです。鍛えるためには、負荷をかけて頭を使うしかありません。要は、読み・書き・話すの活動を続けるということです。



2 日々の目標を決めよ!短・中期の目標を決めよ!!!



 


 問の2は、生きる目標を決めているか、ということです。目標があるから、達成のための行動が起こります。目標を持たなければ計画も努力も必要を感じないでしょう。毎週、毎月の活動スケジュールも立ちません。生活リズムも整いません。元気だから活動するのではありません。活動するから元気を維持できるのです。そして、何よりも目標があるから活動が続くのです。
 人生は、がんばっても幸せになる保障はできません。しかし、頑張らなければ、自分の幸福を掴むことはできません。子どもに頑張れ、というのと同じです。努力は未来への投資です。努力すれば高齢者の老後にも充実は訪れます。頑張らなければ確実に不幸になって早晩滅びます。
 もちろん、目標も活動も自分流でいいのです。あなたは自分の老後をどう生きたいですか?決めるのはあなたの精神です。活動は「何をしたいのか」、「誰と、どこでしたいのか」、「どんな風にするのか」?高齢者にとっても、短期または中期の目標は必要です。目標を決めれば、目標を達成するための行動を考えるでしょう。PDCAも不可欠になります。あらゆる人生の問題の解決には必ず資料やヒントが必要です。「読み、書き、交流、インターネット」などは「資料収集」の基本です。目標が明確な暮らしは、人生は活動が連鎖して行きます。「連鎖」の出発点が目標と計画だから思想が重要なのです。



3 生涯学習は「ノートレ」と「人づきあい」が2大目標です



 


 東北大学の川島隆太先生のご研究以来、脳の活性化法が大部分かって来ました。市販の「脳トレ」教材も出るようになりました。しかし、日常生活に「読み、書き、交流、情報収集」を日課として組み込んでおけば特別のトレーニングは必要ありません。新聞・雑誌や小説を読み、読んだ事を日記や手紙に書いたり、メール通信の交換をしたりすれば「読み、書き」については十分でしょう。問題は手紙やメールを交換する「交流」の相手の存在です。
 交流とは人間相互のコミュニケーションです。それゆえ、友だちや仲間が非常に重要になります。ところが、高齢期の特徴は過去の人間関係が希薄になり、職場の縁も、地縁も、時に血縁ですら遠くなります。多くの高齢者が近距離に語り合う友もいなくなり、孤立と孤独の中で暮らさなければならないということが起こるのです。交流の相手が居なくなれば、コミュニケーションが取れませんから話すことがなくなるということです。集団に参加して生涯学習やボランティア活動を続ける事が決定的に大事になります。活動は「活動の縁」をもたらすからです。「活動の縁」とは、趣味、お稽古事などを通して繋がる「同好の縁」、学習を通して生まれる「学びの縁」、ボランティアや社会貢献を通して結ばれる「志の縁」などがあります。それゆえ、高齢期に活動から遠ざかった人は「出会いの縁」からも遠ざかることになるのです。
 活動は「目標」と「内容」と「方法」で出来ています。何を達成したいのか、何を目指すのかが目標です。目標の実現のために何をするかが「内容」です。その内容は何処で、誰と、いつ、どんな風に、どのくらいお金と時間をかけるのかを決めるのが方法です。これらを決めて、活動を上手く進めるためには、人に尋ねたり、本を読んだり、インターネットで探したりすることが不可欠です。それが情報収集:勉強です。
 結論的に、活動している人は「脳トレ」もしているということです



4 「活動」は循環しますー目標→活動→人付き合い→成果→世間の評価と承認→新しい目標→

 


 達成目標を持たなければ計画も努力も必要を感じないでしょう。毎週、毎月の活動スケジュールも立ちません。元気だから活動するのではありません。活動するから元気を維持できるのです。目標と活動は循環するのです。
 がんばっても幸せになるとは限らず、努力しても高齢者は衰えていずれ滅びます。しかし、頑張らなければ、滅びは確実です。不幸も確実にやって来ます。
 もちろん、目標も活動も自分流でいいのですが、重要なのは、毎日することです。人とかかわり、成果を公表し、常に新しい目標を模索し続けることです。



5 身体を使えば「貯筋」ができ、「貯筋」と「手入れ」を平行して行なうことが、「丈夫で長持ち」の秘訣です



 内臓のことは分かりませんが、予防医学の第1条件は、睡眠と食育の常識を守る事でしょう。特別に興味があるのならともかく、いちいち専門書などを読んで気に病む必要はありません。気に病む事こそが問題なのです。
 音楽と体操を組み合わせたエアロビクスは理想的です。小生のエアロビクスは、「タコ踊り」だと口さがない連中が申します。
 身体の衰えは関節、筋肉、バランス、柔軟性などから始まります。毎日身体を緩め、毎日身体を動かすことが大事です。意識的な手入れとは衰えそうなところの運動を入念にすることです。



6 人と付き合うこと」は「力仕事」です



 


老後こそ人脈が大事になります。しかし、多くの人の場合、現役時代の人脈は破産していることでしょう。だから「新しい縁」を捜すことが重要なのです。新しい縁は「活動の縁」です。それゆえ、活動しない人に人脈はできません。だから、生涯学習が大事で、ボランティアが大事なのです。
「活動」は、心身への「負荷」です。それゆえ、「継続」には意志力やがんばりが欠かせません。続けるためには、「選択的に」、「マイペースで」やることが 重要なのです。加齢は衰えと同義語です。高齢者の活動の最大の敵は「疲労」です。もちろん、心身両方の「疲労」です。継続するには疲れないことです。疲れないようにやるのがペース・メイキングです。自分の日常のペース配分は、長年の経験から導き出す自分流の年寄りの知恵です。続けて行くことができれば、年寄りでも若者に負けない成果を生むことができるのです。



7 自立の生活技術−自分の暮らしは自分でできますか?



 


高齢者の日常の家事は、健康寿命の第1条件です。家事は、準備、作業、後始末の手順が「命」ですから、時間との戦いです。それゆえ、「脳トレ」を兼ねています。日常のことは、日頃から自分でできるようにしておくことが自立のトレーニングです。特に男性にとっては、料理が必修の修行項目です。高齢者を支援するシステムが整いつつありますから、その利用の含めて、自分の生活を自分で律することは自立の第1条件です。



8 人間もまた自然的存在です−花鳥風月、四季折々の風物を愛す



 年をとって体力が落ち、動くことが億劫になると、文明や文化の成果から遠ざからざるを得ません。美術館も博物館も遠くなります。劇場やコンサート、あるいは映画館も億劫になります。テレビやラジオだけで暮らせる人は幸せかも知れませんが、小生は暮らせません。
 何もなかった時代の日本人の知恵は花鳥風月を愛することでした。その知恵は現代も変わっていないでしょう。窓辺の小鳥、樹々のそよぎ、折々の花にこの世の美しさを感じます。昔習った詩歌の有り難さが身に滲みるのもこの時です。



9 色々あったでしょうが、日々感謝して暮らす発想が幸福の条件です



 脳科学によると、感謝が幸福のカギだそうです。欲求の充足が幸福をもたらすのではなく、感謝が幸福をもたらすとは誠に不思議なことです。人間の健康にも、幸福にも「考え方」が大事なのです。古来、「足るを知る」ことが強調されたのも分かります。謙虚な人や質素な暮らしが幸福に繋がることも分かるような気がします。楽天的な人も同じでしょう。雨に降られたら「大雨でなくてよかった」と思い、転んだら「腕を折らなくてよかった」と思うのです。人間万事塞翁が馬」は、数千年に渡る人間の知恵です。



§MESSAGE TO AND FROM§
謹賀新年



頂いた年賀状に「少年は必要とされて初めて大人になる」とありました。爺さんも同じです。きっと婆さんも同じでしょう!
別の方からは、「運転免許証」を返上しました。次はなにを返上するのでしょうか!とありました。冠婚葬祭のあいさつも、惰性になった義理の付き合いも返上します。最後は力つきて命を返上しますが、「やるだけはやった」と思いたいですね!!
英語クラスの生徒さんから記憶より忘却が多くなったと愚痴が来ました。
忘却より余計に記憶すればいいだけのことです。日々の読み書き修行はそのためでしょう!
高齢者になることは「障がい者」になることだとお便りがありました。その通りです。だから、今までに増して、心身の手入れに念を入れ、よみかき体操ボランティアです。小生の自衛法は「タコ踊り」と散歩です。それでも目は半分盲目です。
母校の馬術部から賀状が届きました。勢揃いした部員の写真に女学生を捜しました。4人居ましたが、50年前の小生の時代と数は同じです。男女共同参画も、女性が輝く時代もスローガン倒れです。事女性に関する限り、日本国は進化していませんね!
年末に息子夫婦が来てくれて、今年もまた冷蔵庫の掃除をしてくれました。「賞味期限1998年のジャムは捨てようね!!」と息子が「勝ち誇って」言いました。逆らわぬことにしていますが、何年ものだろうと、食えるものは食うのです!!そのための保存食だ!!
年末の大掃除は死に支度を兼ねています。溜まりに溜まった「風の便り」のバックナンバーを全部捨てました。ところが学校や子ども達の指導で後からいろいろ必要なものが出て来るのです。「風の便り」には載せていたが、手元にはもうない資料です!困り果てていたら、アメリカの娘が教会で俳句の紹介をすることになって、英訳をインターネットで検索したら、小生と亡妻の共訳「俳句いろはカルタ」を見つけたと便りがありました。探していたのはそれだ!!こういうこともあるんですね!!



神奈川県葉山町 山口恒子 様

 懇切に書評を頂き、改めて亡妻との暮らしを思い出しました。今回の出版は、出版社も喜んでくれているので、晩年を助けてもらった恩返しが出来れば何よりのことです。釣川の土手は西風の冷たい季節になりました。道行く人は笑いますが、「もう、帰ろうよ」というカイザーを小脇に抱えて歩いています。戦友も年をとり、喘ぎ喘ぎ最後の坂を上っています。

大分県 矢野大和 様

 5月の大会がもうすぐ来るぜ!!そちらの準備はいいですか?
あなたにもらった宿題は、「笑い」と「教育」の融合でした。小生の執筆もいよいよ正念場です。改めてあなたの本を読み返しました。76歳のおばあちゃんが「三途の川を泳いで渡りたい」とスイミングスクールで泳ぎを始め、みるみる上達したという話。これなら「三途の川も往復できる」とコーチも太鼓判。ところが焦ったのは嫁さん。「どうぞターンだけは教えないで!!」と言ったという。教育論はなかなかこういう風に落とせないんだよね!

山口県 三瓶晴美 様

 あなたの元気がわれわれを元気にします。あなたのがんばりがわれわれを叱咤します。あなたに工夫して頂いた山口大会が今年で10周年を迎えます。みんなあれから10才歳をとりました。今年は橋本先生も、藤田さんも、西山さんも見えるでしょう。あの頃われわれを応援してくれた赤田先生もすでに退職され、公民館長で頑張っています。上野さんの指導が実り、井関の子どもたちは開会式の晴れ舞台で「長州ファイブ」を朗誦します。みんな前へ進んでいます。ぜひともあなたに見て頂きたいですね!!

過分の印刷・郵送料をありがとうございました。



佐賀県 関 弘紹 様
福岡県 本川八重子 様
福岡県 大島まな 様
山口県 三瓶晴美 様
山口県 永井丹穂子 様
大分県 安心院光義 様
沖縄県 高嶺朝勇 様
宮崎県 飛田 洋 様
福岡県 神谷 剛 様
大分県 縄田早苗 様
佐賀県 西岡信利 様
福岡県 杉山信行 様
福岡県 植田武志 様
山口県 西山香代子様
新潟県 山本悦子 様
佐賀県 紫園来未 様
長崎県 藤本勝市 様
福岡県 小中輪子 様


長崎県 武次 寛 様

絵巻「くじら」組
じいちゃん:おーい、もも!鯨の本だ。見たいか!
もも:見たい、見たい!
じいちゃん:ある日、沖にでかい鯨がやって来ましたとさ!!
もも:おじいちゃま!「でかい」って言ったらだめよ。「おおきい」っていうのよ!
じいちゃん:誰がそんなこと言ってんだ?
もも:保育所の先生よ!
じいちゃん:「でかい」でいいんだ!お前の先生はアホとちがうか!!
もも:アホってどういうこと?
じいちゃん:バカってことだ!
もも:バカなんて言ってはいけないのよ!おじいちゃま!!
じいちゃん:それじゃおれなんかしゃべれねえじゃねぇか!ももよ、世の中にはいろんな言い方があるんだ。
もも:おじいちゃま、この裸の人たち何するの?
じいちゃん:もりを持ってるだろう!鯨取りだよ!小さな船で大きな鯨を囲むんだ。かっこいいだろ!!
もも:「かっこいい」じゃないのよ。「美しい」って言うのよ。
じいちゃん:そうかそうか!漁師は美しくて、かっこいいだろう!
もも:裸は美しくないわ!
じいちゃん:お前なあ、海へ出て鯨取りに行くんだぞ!!背広来て行けるか!!これが鯨組の漁師だ!お前のオヤジとは商売が違うんだ!
もも:「オヤジ」じゃないわ、「パパ」よ。
じいちゃん:分かった、分かった!少し横にならせてくれ!!
誰か、こいつに日本語教えてくれ!!



お知らせ
1 2015オヤジの集いinおおせと(第147回生涯教育まちづくり移動フォーラムin長崎)
日時:平成27年2月1日(日)
場所:大瀬戸コミュニティセンター(西海市役所裏)
内容:
(1)オヤジ達の調理実習
(2)論文発表:寂しい日本人の連帯と団結—無縁社会の中の「オヤジの会」(三浦清一郎)
(3)オヤジ座談会:西海元気村」、「雪の浦ウイーク」、「つくらんば倶楽部」、「根獅子集落機能再編協議会」、「おおせとオヤジ夜究教室」の各代表、コーディネーター、九州女子大学教授 大島まな
(4)懇親・意見交換会、金波旅館(大瀬戸町多以良、0959-22-0480

4 第10回人づくり・地域づくりフォーラムin山口
日時:平成27年2月14日(土)〜15日(日)
場所:山口県セミナーパーク(山口市秋穂二島1062(☎083-987-1730
井関元気塾の子ども達が開会式に子ども講談「長州ファイブ」を演じます。

5 第8回地域発「活力・発展・安心」デザイン実践研究交流会(第148回生涯教育まちづくり移動フォーラムin大分
日時:2015年2月28日(土)〜3月1日(日)
場所:大分県国東市「梅園の里」(国東市安岐町富清2244、0978-64-6300
内容:
(1)コミュニティ・スクールの現状(大分大学教授、中川忠宜)
(2)協育見本市:実践事例発表:全10事例


(3)特別講演:国際化の中の日本と日本人(仮)(三浦清一郎)






編集後記


 「いいもの」は誰が作ってもいいものです!


 高倉健と菅原文太が相次いでなくなり、年末年始のテレビは追悼集ばやりでした。二人がそれぞれに主演した「幸福の黄色いハンカチ」を見ました。最後は、アメリカ版「幸福の黄色いハンカチーフ」まで放送され、これも見ました。シナリオに若干の違いはありますが、元が「いいもの」は、誰が作っても、主演者・共演者に関係なくいいですね!それ故、良い映画の核心は原作のもつ「物語性」であり、物語を通して訴えようとした人間の「感性」や「思想」であることが分かります。
 「七人の侍」も「荒野の7人」に翻訳され、原作の思想を変えなかったので、いい味になりました。「Shall We Dance?」も役所広司がリチャードギアに代わっただけで、ふたつの文化で暮らす中年男性の「人生の疲れ」や亭主を気遣う妻の懊悩が秀逸に描かれていました。すべて元の原作がいいからですね!!どの監督も原作を大きく外れていないことが成功の秘訣だったろうと感じました。
 小生が大好きな藤沢周平作品も色々映画化されましたが、こちらの場合は、作品の本旨を読み違えたり、監督あるいは脚本家が思い上がって勝手にストーリーを変更したりしたものが多く、何度か落胆させられました。「いいもの」を勝手に変えるな、と思います。
 これまで各地の実践に関わった経験から、われわれがやる社会教育の仕事も「計画の原案」が的を外していなければ、どこでやってもいい結果が出ると思います。成否の核心は、それぞれの実践状況で周囲の思惑と妥協して「原案」を変更しないことだと思います。子育て支援教育も、高齢者支援教育も、目的、目標、方法論は、状況が変わったからと言ってそれほど大きく変わる筈はありません。相手の賛同を得るために、小さな変更をしたつもりでも、論理の一か所を崩せば、全体のつじつまが合わなくなります。
 山登りは「撤退」に勇気がいると聞きますが、教育の実践も「撤退」に勇気が要ります。「計画」の思想と目標を理解しない相手だった時は、「協働」実践から撤退することが肝要です。小生はこれまでに2度、協働で始めた事業から中途撤退した経験があります。関係者は「中途投げ出し」だというかもしれませんが、「非難」は甘んじて受けます。しかし、今振り返ってみても、「いい加減な人々」との協働から撤退して、良かったと思っています。
 今年の八幡東区の「八幡大空襲の聞き書き」や、飯塚市のNPO—小学校−学童のコラボレーション・プロジェクトはどうなるでしょうか?もうすぐ結論が出ます。人生の締め切りが迫りました。「中途半端はやらない」、「成らぬもの」は「やらぬ」を方針としたいものです。




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