月刊生涯学習通信
第201号
発行日:平成28年9月
発行者: 三浦清一郎
「ひとぐすり」−孤独の「非常口」
この数年、ジタバタして苦しんでいるうちに、「非常口」を使えるようになり、孤独それ自体はそれほど悪いことではないと思うようになりました。「孤独」と「孤独感」は異なるものだということに気付いたからです。現役のときは仕事の上でひたすら社交的に振るまい、無意識に抑圧していた内向的な性格が年を取って少し表に出て来たということでしょうか。段々「一人暮らし」が好きになって来たということです。筆者には退職後の15年程で工夫した孤独の「非常口」がいくつかあります。精神分析の本を読んでいると、鬱を脱出する「非常口」のことを、人間の場合は「ひとぐすり」というようです。それゆえ、ひきこもりや鬱に悩む人々は「ひとぐすり」をほとんど持っていないということです。
小生の場合も、「非常口」とは、主として臨時に使わせてもらう「ひとぐすり」です。「孤独感」の暗い火に気持ちを焼かれるようになった時は、それらの非常口を使って脱出するようにします。小生の「非常口」は、人だけではなく、家族として遇している2匹の「犬ぐすり」であったり、人と役割を混合したボランティア活動であったりします。孤独感が軽い症状の時は、「ひとぐすり」の人々にメールを送って返事を催促します。それでも治らない時は、特別の「ひとぐすり」の人を食事に誘います。しかし、現役の多くは忙しいので誰も応じて下さらない時があります。そういう時は音信を絶って「死んだ振り」をして家から出ないようにします。小生は「金持ち」ではありませんが、社会教育という分野のお陰でそれなりに「人持ち」ですから、そのうち、「無事か?」という便りが誰かから来ます。このような人間関係を保っておくこともわが「非常口」の一種です。
また、1週間に1.5回は英語のボランティアが回って来て、何とか気分転換が出来ます。月に1度の生涯教育フォーラムも、「変形ひとぐすり」の一つです。講演のご依頼は、起死回生の特効薬で、「ひとぐすりカンフル注射」のようなものです。たった1本の電話で、一瞬にして「この世の無用人」が「有用人」に戻ることが出来るから心身が奮い立ちます。2〜3日は「オレも未だ捨てたものではない!」とつぶやいて生きることが出来ます。人間とは誠にたわいのないものですね!!これらの「ひとぐすり」が全てなくなって、講演の依頼も来なくなったら、小生もまた孤独の虫に食い殺されて意気消沈し、死んでゆくのだろうと思っています。それゆえ、研究成果を原稿にし、世に問い続ける「晩学」こそがわが身を世間に繋ぐ「命綱:勉学ぐすり」なのです。
「貧乏(欠乏)」という先生がいない時代の「しつけ」の困難
戦前世代の「生きる力」は、「貧乏(欠乏)」という先生のお陰です。貧乏の時代に生きたことが、人々に勤勉も、共同も、助け合いも、がまんも教えたのです。これらの能力がなければ、貧困や欠乏を突破することはできなかったからです。
戦後の日本は復興に成功しました。結果的に、貧乏という先生が時代の舞台から退場しました。豊かな日本が実現したあとは、親や学校が余程意識しない限り、「がまん」も「助け合い」も「勤労」も教えることはできません。その結果がへなへなで自己中の今の子ども達です。
豊かな日本を背景として、芸術やスポーツの英才教育で特別の訓練を受けたものは、個別分野の技能・能力に秀でるでしょうが、規範が身に付かず、義務を弁えず、己の欲求をコントロールできなければ、様々な社会問題を起こすのです。メディアを賑わす麻薬や賭博の問題はその一角に過ぎません。
筆者が疎開していた時代には食うものがありませんでした。親は自分達が食うものを私たち兄弟に食わせていました。子ども心にそれが分かれば、もっと欲しいとは言えませんでした。毎日朝から晩まで、両親はそろって慣れぬ田舎暮らしに働き、母は身体を壊し、父が再出発の準備をできた頃には病床にあり、小生の3年生の時に世を去りました。父が後妻をもらうまでの間、どのくらいの期間であったか、店をやる父を助けて、10歳の私は多くの家事を引き受けました。教えれば子どもでも家事はできるのです。家の窮乏が筆者に家事と勤労を教えたのです。がまんすることも、働くことも、助け合うことも、あの時の窮乏が教えてくれました。もちろん、筆者に限ったことではないでしょう。当事に生きた人々は皆それぞれに自身を巡る人生の窮乏と戦って行き抜いたのです。われわれの世代と今の若い親の世代、ましてや子ども達の世代の決定的な違いは教育論や教育実践ではありません。彼らが「豊かな日本」に生きているということです。例外はあるとしても、現代の大部分の若い日本人は、食の「欠乏」を知らず、「貧乏」という先生の教えは受けていないのです。現役の先生方の多くも同じです。現代教育の最大の特徴です。貧乏の中でわれわれ世代は辛うじて、がまんや助け合いや勤勉を学んだのです。そうしなければ生きられなかった時代だったのです。祖父母は、この一点を今の親に教えて下さい。
男女共同参画の反戦歌
一休みしようと思って、テレビをつけたら、古い歌番組の再放送をやっていました。作曲家の岡 千秋と都はるみのデュエットで「なにわ恋しぐれ」を歌っていました。ご存知かもしれませんが、歌の主人公は春団治という噺家です。「芸のためなら女房も泣かす、それがどうした、文句があるか」と唸ります。岡さんは作曲家の思いを込めて唸るので実感があり、迫力満点で、歌も歌手顔負けの歌いぶりでした。思わず、「文句がある」とテレビに言い返しました。これは男女共同参画の「反戦歌」だと直感しました。「あたし世に出る、亭主も泣かす。それがどうした文句があるか」と女は歌えないでしょう!
都 はるみが2番を引き継ぎました。「そばにあたしがついてなければ、何もできないこの人やから・・・・」と続きます。
「アンタがついてあれこれやるから何もできんのだ」!
お前たちは、男女共同参画の事など口にするなと怒鳴りました。2番もまた「反戦歌」でした。
印象が強烈だったので、一度聞いただけで歌詞も曲も憶えました。
折しもある講演会に招かれました。聴衆は100人強で、テーマは男女共同参画でした。いつも通り、まじめにレジュメを準備して講義に臨んだのですが、最後の方で、友人の落語家矢野大和氏に鍛えられた現地研修を思い出し、「反戦歌」の出だしを歌ったのです。思いっきり、作曲家の岡千秋の真似をして唸りました。「文句はあるか」の後に、「文句は大いにある」と叫んだのです。会場は爆笑し、やんやの拍手を頂きました。怪我の功名ですが、その後聞いて下さった人の中から2か所の講演を依頼されました。「なにわ恋しぐれ」のお陰だと思っています。
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