2014年11月4日火曜日

月刊生涯学習通信「風の便り」179号


月刊生涯学習通信
 第179

                       発行日:平成2611
                       発行者: 三浦清一郎

「子連れ」・「一泊」・「空き家活用」の婚活プログラム
—究極の婚活か、それとも破れかぶれの過疎対策か!!!

 行政のやる「婚活」に碌なものはない!税金をどぶに捨てるようなものである。昨年の島根の移動フォーラムで機会を与えられ、こてんぱんに批判して以来、興味を失っていたが、世の中は広い!!とんでもない婚活プログラムに巡り会った!!
 行政のやる「婚活」は「私事」の公共事業化である。今や、ますます深刻化した少子化問題に対処するため、行政は、子育て支援に加えて、公共事業としての「婚活」に踏み出さざるを得なくなった。まさに、結婚や恋愛は「私事」中の「私事」だが、今や「独身税」の導入までが、人々の口の端に登るようになった。女性に子どもを産んでもらって、生産人口を増やすためには、私事中の私事ですらも公共事業化せざるを得なくなったのである。
 しかし、行政は、決して縦割りの縄張り発想を脱しきれない。無能な政治も行政を指導しきれない。政治の無能と行政の唯我独尊がこの国の対応を遅滞させ、時に破綻に導く。学校は放課後の児童を放置して一顧だにせず、保育は「お守り」以外はしないとあぐらをかき、婚活は「見合い機能」のバスハイクやパーティーの域を出ていない。今回初めてある自治体で、実に思い切った婚活提案を聞いた。わくわくするのは不謹慎だが、オレが当事者だったらどうだろうと思っただけでドキドキする!!

1 プログラムの思想と感性 

 表題の「子連れ」とは「バツイチあるいは死別で子どもがいる」という意味である。「一泊」とは一泊以上相手と同じ屋根の下に宿泊する事を参加の条件にするという意味である。「空き家活用」とは、文字通り、自治体に点在する留守家を利用するという意味である。
 バツイチ・子連れの再婚は、ハンデが大きい。だから通常の再婚は極めて難しい。「バツイチ」もハンデ、「子連れ」も重いハンデである。ハンデを承知で結婚してくれるという人は、余程出来た人か、余程怪しい人である。だから連れ子に対する虐待が頻発する。
 この「婚活見合い」の基本条件は、「バツイチ同士」で「「子連れ同士」である。お互いにハンデの引け目を感じなくてよかろうという配慮である。「一泊以上の義務」に同意することも条件である。バツイチは、通常、「おとこひでり」、「おんなひでり」が続いているだろうと想定している。それゆえ、見合いは「恋愛実習」を伴う。乾き切った男と女である。お互いを必要とする男女が、一つ屋根の下に泊まれば、自然の摂理には背くまいと踏んでいる。この発想こそが男と女をめあわせる戦略の「心髄」である。しかも、人肌恋しい秋から冬にかけて実施するというから担当者の芸は細かい。
 両者が承知の上で同じ屋根の下に泊まれば、うっかり手を出しても、うっかり情にほだされても「自己責任」である。知らぬ同士が掃除や料理を共同する。寂しかった同士が疑似家族として夕餉のテーブルを囲む。子どもたちははしゃぎ、雰囲気は婚活キャンプである。「お風呂お先にどうぞ!」とか、「いえ、あなたこそどうぞ!」とか、「それじゃ子どもたちも一緒に全員で入りましょうか!!」などなど胸弾むではないか!!
 未熟者の小生などこうした機会を与えられたら、血圧が上がって、到底自制する自信はない!!!!!
 「子連れ」で実施するということは、子ども同士も同じ屋根の下で「同じ釜の飯」を食えば、仲良しになるだろうと想定している。婚活は「将来家族」の「見合い」も兼ねているのである。親の心境と困難を思えば、子ども同士で状況を勘案して妥協するだろうと踏んでいる。発案者は児童心理学を勉強したに相違ない!
 会場は自治体が管理に頭を痛めている空き家を利用する。田舎だから庭付きである。柿やイチジクのように実のなる木などもあるだろう!都会人にはよだれが出るような住環境である。参加メンバーには事前に下見をしてもらって、どの家に泊まるか、気に入った空き家を選ぶのだそうだ。すべてが想定通りに進めば、子連れ同士は結婚してその家に住むことになる。最低でも4人の人口が増える。家賃は2万円だというから、一戸建て庭付きとしては格安である。自治体としては、少子化対策、過疎対策、空き家対策の3兎を追っている。戦略のすべてが人間の善意を信じて「楽観的」である。だから素晴らしい。

2 「性善説」の点検

 しかし、念のため、筆者のように、かならずしも「性善説」に立つことの出来ない人間の危惧を列挙しておきたい。
 第1は、状況と雰囲気に負けて、「手を出した」(あるいは一夜の「情にほだされた」)ものの、夜が明けて相手の寝ぼけ面を見て、「しまった」と思った時はどうするのだろう?
 第2は、どちらかが積極的に迫るのはいいとしても、あとで「もう少し待って」と言ったのに無理矢理迫られたなどと言われたのでは「仕掛けた方」の立つ瀬がない!泊まることには合意したが、その先までは合意していないなどと言われたのでは、そもそも同意書は「詐欺」に近い。
 気をつけないと、日本文化は間接表現である。「好き」は「嫌い」で、「嫌い」は「好き」だということもある。「詰まらないもの」ですが、と言いながら「実にいいもの」をもって行ったりする。名誉毀損で訴えられたり、慰謝料など取られたら、当人も自治体もたまらない。参加同意書は事前に弁護士に念入りに検分しておいてもらわねばならない
 第3は、無事、結婚が成立したとしても、お互いに他人の子どもを慈しめるか、という問題である?継父母の子ども虐待の例は枚挙にいとまがない。「安易な婚活をやるからだ」と、後で自治体が責められることになりかねない。また、子どもが懐かない場合もある。父を取られたと思う子どももいるだろうし、母を取られたと思う子どももいるであろう。何を隠そう、小生はそういう子どもの一人であった。
 第4に、地元は新家族に職を保障できない!過疎対策の泣き所である。流入人口によって生活保護世帯が増えるようであれば、この戦略は元も子もない。
 第5は、契約期間中に、空き家の持ち主が帰って来ることはないのか?おいそれと代わりの住宅は見つからない。ましてや気に入って入居した住宅である。契約書を交わしていれば、契約違反にも問われかねない。

それでも夢多き婚活戦略は素晴らしい。性善説を信じて疑わない発想も素晴らしい。頑張れ公民館長!

勿体ない!!

 日本の英語教育は勿体ない。学習者が費やす時間もエネルギーも勿体ない。ましてや、英語をものに出来なかった人々の徒労感も挫折感も勿体ない。何より、経済の国際化やグローバリゼーションを言いながら、最低でも6年近く学んだ英語が職業上の「武器」にならないのは誠に勿体ない。
 中央には賢い人がいるだろうに、何で英語を国語とする人に免許を与えて先生にしないのだろう。なんで英語の話せない日本人に英語教師の免許を与えるのだろう。阪神・淡路の大震災で来てくれた国際援助隊の医師は、日本の医師免許がないので負傷者の治療を許されなかったと聞いた。それで治療が間に合わなかったというのでは患者は浮かばれない!!この話もひどいが、イギリス人やアメリカ人の英語教師が日本人の英語教師の監督・指導の下に英語を教えるというのは正気の沙汰ではない!!何年言っても、何回言っても誰も耳を貸さない。それゆえ、下記のような嫁さんや子どもが育つのである。

年寄りを舐めんなよ



嫁:おじいさま、今度小学校にアメリカからATMの先生がいらっしゃるんですって!!時代は変わりましたねぇ!!
オレ:(ふん、自動支払機が英語を教えるんじゃ、さぞ金がかかるだろう!!!)
花子:お母さん、違うよ!アメリカから来る先生はAEDの先生よ!
嫁:あら、そうだったの!まあ!!
オレ:(ふん、オレの心臓が止まったらそいつを呼んでくれ!!)時代は変わったなぁ!!(お前らだけが変わらねぇ!!)
*****    *****    

オレ:お前、こんど花子の小学校にアメリカからALTの先生が来るって知ってたか?
倅:あいつの学校は合唱が強いから、特別に音楽の先生を呼んだんでしょう!!次の合唱が楽しみです。
オレ:ALTっちゃ合唱のアルトのことか?
倅:ソプラノはすでにいるそうですから!!
オレ:ふん!!(アメリカから呼ばなきゃ日本にアルトはいねぇのか!!)

   *****    ****

花子:おじいちゃん、今度のアメリカの先生、日本語しゃべれないんだって!!
オレ:アメリカ人だからな。習ってなきゃしゃべれねぇだろうな。
花子:日本語できないのにどうやって英語教えんの?
オレ:英語で教えんじゃねぇのか!?お前ら英語習いたいんだろ!!
花子:お母さんは一度日本語学校へ行ってから来るんだって!
オレ:ああ、そうか!(お前らも一度英語学校へ行ってから待ってるといいな!!ふん!! )



御嶽山から死生観へ



 台風19号の暴風は、地鳴りがして、家が震え、雨戸が吹き飛ぶかと恐れるほどでした。樹木が傾き、庭中のものが飛び、地球の怒りを実感した数時間でした。隣家には我が家のベランタの「樹脂すのこ」が飛び散りましたが、2次災害を引き起こさなかったのがせめてもの幸いでした。人生はどこで何が起こるか分からないですね。そんな中で終日テレビの台風情報と御嶽山捜索情報を見ながら過ごしました。以下は、「もしオレが死んだら」と思った時の感想です。



オレが死んだら・・・  


子どもたちよ、万一オレが自然災害で死んだら、たとえそれが世間の好意だとしても、一週間以上の捜索は無用にしてもらいたい。職務で動員される捜索隊員たちは、「もうこの辺でいいだろう」とは言い出せないだろう。だけど、オレのことは程々でいい。葬式無用、戒名不要。長年付き合った寺には悪いが、それでいい。後のことは風水やけものたちに任せてくれ!死んだ辺りの自然にちなんで、樹木葬でも、巨石葬でも、風葬でも、鳥葬でも何でもいい。自然葬として済ませてくれ。仮に御嶽山にいたとしたら、御嶽山葬としてくれればいい。なぜこの国の遺族は、あのような過酷な捜索条件を知りながら、捜索はもういいですと誰も言わないのだろう?


 
死生観は変わった  



 国際結婚のオレは、国を捨て、文化の半分を諦めた女性と暮らした。その時から、いつでも国も文化も捨てることが出来る。少年期から教わった仏教の死生観も捨てることが出来る。生きている間こそが問題で、死んだ後は人に迷惑をかけない限りどうなろうと問題はない。過酷な条件の中で延々と捜索を続行することは、隊員やその家族に取っての迷惑なのだ。
 世間は遺骨がなければ、死者は成仏できないというようだが、野ざらしになった昔の侍を思えばそんなことはない。太平洋戦争の戦場に散った兵士たちを思ってもそんなことはない。アメリカでのオレゴン州では、30代の女性が重病の人生に見切りをつけて、自ら命を絶った。切腹の気概は日本だけではない!!また、先日は小椋 圭が生前葬のコンサートを3日間もやった。葬式だというのに、ファンはよろこんで聞きに行く。開会で、小椋は「香典」をありがとうと言っていた。葬式の名目で仲間も自分も稼ぐとはいい度胸だ。要は、死生観が変わったのだ。



生き残ったものは死者を利用する
  


 万葉集の「海行かば」(大伴家持)は軍国主義の戦意高揚に利用されたが、生き残ったものはいつも死者を利用する。「水漬く屍」と「草生す屍」の主人公たちの中にもそっとしておいてくれと思った者もいた筈である。遺骨とか墓とか供養とか、要は宗教に振り回されているのである。宗教以前の人生を思えば瞬時に分かることである。「墓参り」の代行事業がビジネスになった時代である。死者の供養は葬儀をしようとしまいと、生き残るものたちの死者に対する思い次第である。生前の生き方が、残された者の記憶に値しなければジタバタしても始まらない。



死者の思い出は哀歌の中に生きる


 
 靖国神社がいつももめ事の火種になるのも同じ類いのことである。「英霊に哀悼の誠を捧げる」などときれいごとを並べるが、政治はいつも死者を利用する。神社仏閣も死者を利用する。反対する側もまた己の宗教に依拠して反対する。中にはオレのように考える兵士もいただろうに!「七里ケ浜哀歌(真白き富士の根)」のように、だれか御嶽山哀歌を作ってはどうだろうか!太平洋戦争哀歌は不思議なことにいくつかの軍歌の中に生きている。「サトウキビ畑」の中にも生きている。
 死者の思い出は詩歌の中で生き続けるのである。神社仏閣で生き続けるというのは、洋の東西、生き残った人間の悲しみに便乗した宗教人の勝手な幻想に過ぎない。供養したければ、どこででも出来る。遍路の旅でさえ出来る。全国を休日にして両陛下や閣僚たちが被災地や戦場を巡って、死者を悼む遍路週間でもつくればいい。経済は活性化し、憲法9条の精神も生きる。特定の宗教や特定の供養場所にこだわれば、国を割ることになる。隣国から「歴史認識」を「正せ」などとつけ込まれることにもなる。愚の骨頂である。



コンピューター・ハイテクカンパニーの社長たち
—なぜ彼らは自宅へのIT機器の持ち込みを制約しているのか?−

1 子どもの携帯どうするの?



 青少年健全育成の大会で子どもたちの携帯使用や仲間内の「ライン」の強迫的交友問題が頻繁に取り上げられるようになりました。テレビも各地の対策・取り組みの特集を組むようになっています。全国の親と学校がこの問題には手を焼いています。時には、警察まで登場するようになりました。NHKの特集番組では、ある学校が「夜の一定時間以降は『ライン』通信を禁
止した」ことで、保護者も子どもたちも大いに「救われた」と報道していました。だったら「禁止」すればいいだけのことじゃないですか!アホらしい!!
 1月に福岡の仲間たちと出かける島根県の移動フォーラムでもこの問題が取り上げられると主催者から連絡がありました。




 
2 アップルコンピューターの創始者の子育て



 小生の木曜英語教室では、生徒さんがNYタイムズのハイテク問題のコラムニスト:Nick Boltonの記事を教材に選びました。2014年9月10日の記事です。記事によると、アップル・コンピューターの創始者のスティーブ・ジョブズ氏という人は自信家でかつ理論家だったそうです。アップル製品について、新聞が書くと、何かに付け、記事は「分析が不十分」だという文句と注文をつけて来たそうです。ハイテク関連担当であったボルトン氏も彼の電話を受けて、事細かにうんざりするほどやっつけられたことがあったそうです。ある時、ジョブズ氏のしつっこい批判から逃げたい一心で、ボルトン氏は話題を変えようとしたそうです。
 ジョブズ氏はアップル・コンピューターの創始者ですから、「さぞかしあなたのお宅はハイテク製品に溢れ、壁は巨大な「タッチスクリーン」、テーブルはi-Padのタイルででもできていて、『コンピューターお宅』の天国のようでしょうね」、と冗談を言ったそうです。
 ジョブズ氏の答は編集長を驚かせました。彼の家庭では、ハイテク製品は極力制約しているのだそうです。子どもたちには、PCもタブレットもiphoneも禁止だそうです。コンピューターハイテク世界の創造者が自宅でハイテク製品を禁止しているとはどういうことだろう!!ボルトン氏は当然疑問をもちました。


 
3 ハイテクの社長はローテクの親



そこで他のコンピューター関連会社の社長やそうした企業に投資をしているベンチャー・キャピタリストたちにもインタビューをしました。なんと、彼らもまた自宅ではハイテク製品の使用を自制し、子どもたちにはその使用を禁止しているというのです。学校のあるウイークデーは「全面使用禁止」、週末の自由時間でも厳しく制限しているというのです。
 二人の会話からまもなくジョブズ氏は亡くなったので、ボルトン氏は、彼の子どもたちが日常の自由時間をどう過ごしていたのか、を聞く機会を逸しました。そこで、生前のジョブズ氏と親交があり、彼の伝記を書いたWalter Isaacsonに確かめたそうです。
 伝記作家の話では、ジョブズ氏の家庭の実態は生前の彼が語った通りだったそうです。ジョブズ氏は、PCほかのコンピューター製品の自宅での使用は厳しく制限していたそうで、食事時は、大きなテーブルを家族が囲んで、書籍のこと、歴史のこと、その他世間一般のことをみんなでわいわいおしゃべりするのが常だったそうです。誰一人タブレットを持ち出す者はいなかったとIsaacsonは語ったそうです。ジョブズ家の子どもたちはゲーム中毒とは全く無縁だったということでした。
 かくしてコンピューターのプロたちの暮らしぶりや子育ては「Low-Tech」の親だということが分かりました。アメリカの一般家庭とはまるで逆ではないですか!!日本の家庭とも全く逆です。日米共に、多くの保護者も、学校も、子どもがPCゲームやスマートフォンに溺れていることに頭を抱えているのです。
 ボルトン氏は今でも疑っています。彼ら現代ハイテクの専門家は、なぜ自分の子どもたちに厳しくハイテク製品の使用を禁じているのか?彼らは、もしかして、一般人の知らないハイテク製品の危険性を知っているのではないか?
 彼らのようなプロに倣えば、青少年の指導は簡単です。ウイークデーはスマホもPCも全面使用禁止!週末の使用は親と学校が相談して判断する!要するに、学校とPTAが相談して決めればいいことです。しかし、子どもの「主体性」を重視し、価値観の多様化論を振り回す平成の教育では、何を言っても、所詮、決めたことの実行は無理でしょう!!
 かくして、小生は、「半人前のガキ」の「主体性」とやらに振り回されて、出来もしないことを論じる青少年健全育成のハイテク分科会にはまったく興味が湧かないのです。



人口減少自治体連合—みんなで滅びりゃ怖くない!!
1 女性のいない自治体連合会議
 


近い将来急激な人口減少に当面することが予想される全国172の自治体が連合を組んで衰退の危機に対処するという会議が東京で行なわれたとBSニュースが報道しました。会議場の映像を見て、少子化の危機はさもありなん、と思いました。出席者のほぼ全員が男性です。筆者の見た限り女性はいませんでした。女のいない会議の映像は、現状を雄弁に物語っています。彼らは、女は「知恵のないアホ」だと思って来たに違いありません!!
 しかし、子どもを産めるのは女性だけであるということは疑う余地がないでしょう。その女性の意見を聞かずに人口減少問題が解決できると考えているだけでも、救いようのない「アホ」は男の方なのです。



2 養育の社会化−最後のアウトソーシング



 とにかく、子どもの産める年齢相当の女性に頭を下げて「子どもを産んでください」とお願いするしか方法はないのです。簡単じゃないですか!!そのとき、女性が求める条件は、法律が許す範囲で男はすべて飲むということが筋です。それが出来なければ、地域も日本も衰退して、滅びるがいいのです。
 少子化に伴う人口減少は、この何十年、男女共同参画を毛嫌いした男たちへの強烈な教訓ですが、大部分の男は未だに理解できていないようです。クリーニングは「外注」(アウトソーシング)しました。お惣菜も外で買えるようになりました。教育の大部分も外注、介護も「外注」したのです。
 少子化も、人口減少も、自己主張をせず、滅多にものを言わなかった日本女性の「声なき怒り」の結果です。
 筆者の対処案は「養育の社会化」です。子育ての原則は「私事」ですが、「介護」も「私事」でした。「お宅のおばあちゃんは、お宅で見て下さい」というのが「私事」の原則です。その介護を介護保険制度によって、半分以上は社会が看るように「社会化」したのです。子育て支援の緊急政策も同じでしょう!
「お宅が生んだ子どもはお宅で育てて下さい」が、「子育て私事論」の原則でした。しかし、少子化を止めることが不可欠で、女性の労働力が必要であるというのなら、子育ての半分以上は社会が引き受けるようにすべきです。それゆえ、保育所の待機児童をなくすことは緊急の課題であり、学童保育に発達支援のプログラムを入れて、学校教育と融合することが緊急の課題なのです。「養育の社会化」は最後のアウトソーシングです。



3 人口減少と国土の不均衡発展をもたらした人々
結果には原因があります。以下が人口減少と不均衡発展の犯人です。



(1) 男女共同参画は、「女性の労働力」を社会的に活用することの「別名」だとしか考えられない男たち!
(2) きれいごとの法律だけ決めて、男尊女卑や女人禁制の文化を、「伝統」を守るなどと言い訳して放置した無能な政治家たち。女性知事を土俵に上げたら「国技」の相撲が腐ると言うなら、外国人の相撲取りを土俵に上げても「国技」の相撲は腐らないのか!!
(3) 弁当は母の愛情だと主張する化石人間の高齢者。そいう風に育てられたんだから、仕方ないよね!!じいちゃんよ!たまには自分で孫の弁当を作ってみたら?
(4)「親権」を主張する一方で、「乳幼児保育」や「学童保育」は「ただ」にしろとわめいて、納税者の反発を招いた、身勝手で自己中の母親たち。自分の子は、自分で育てます、と言っている親に税金の不公平配分をどうやって説明するの?
(5) 「自分の子どもは、家庭の責任でしつけよ」と突き放しながら、「地域の子は地域で」などと連発する脳細胞のこんがらがった教育行政と学校。せめて「学童保育」に学校施設を開放してくれ!!放課後の子どもも同じ学校の子どもなのよ!!
(6) 効率だけで地方の学校を潰し地域の均衡発展という発想を全くもたない文科省。学校のないところに子育て世代が移住する筈はないじゃないですか!!都会の学校と田舎の学校を混ぜて、交流人口を増やせば、潰さなくても済むんだよ!!遥か昔に国土庁が出した「セカンドスクール構想」って覚えてる??
(7) 家族形成期にある7割の女性が就労している時代に、学童保育は「お守り」だけでいいと言い続ける厚労省の役人と歴代の大臣たち。保育の中に教育機能はあり、教育の中に保育機能もあるんだよ。縄張り根性を捨てて、保育と教育をさっさと融合したら??
(8) 専業主婦のまま年をとって新しい世代の生き方を理解できなかったOGたち。仕方ないよね!!安らかにお眠りください!!
(9) 最後は残念ながら、「変わってしまった女」に結婚してもらえない「変わりたくない男」たち。君さえ変われればチャンスはまだあるのにね!!君が変わらない限り、婚活の「バスハイク」も「合コン」も銭をどぶに捨てるようなものよ!!
(10) これらを全部知りながら(知らないかな!)、数人の女性閣僚を任命すれば「女性が輝く時代が来る」と言いふらす総理大臣と政府。見ろ!すでに二人が辞任して、直ちに馬脚が現れたではないですか!!
落ちよ!落ちよ!落ちるところまで落ちよ。
みんなで滅びりゃ怖くない!!



§MESSAGE TO AND FROM§
 昭和59年に始めた「むなかた市民学習ネットワーク」事業が30周年を迎え、記念の式典が行われました。現在130人の市民講師、年間延べ6万5千人の学習者を擁しています。当時の行政が理解せず、事業は3回流産しましたが、市民の賢明な判断に救われました。公民館のプログラムは全部「ただ」で、行政に「おんぶにだっこ」だったあの時代、宗像市民はよくぞ学習料の「受益者負担」を受け容れてくれました。
 また、いまだにボランティアは「ただ」であるべきというボランティア原則だけを振り回す人が多い中で、宗像市民はすでに30年前、ボランティア講師に「費用弁償」を支払うことに合意してくれました。
 そして最後は「指導者の資格を問わない」ことにも合意してくれました。それによって教育の「独占」が崩れ、「できる人」が「必要な人」に教えるというシステムができました。生涯教育の評価者は市民です。学級の最低成立要件であった「定員5人」を割り込めばクラスは自動消滅させなければなりません。この規定が「評価の安全弁」となり、資格の有る無しに関わらず、「有志指導者」を奮い立たせるカギになりました。記念式典では、30年講師を務めた方が7人もいらっしゃいました。
 全国各地から何百回も事業の視察を頂きましたが、同じようなスタイルの事業が実現したのは、宮崎県都城市、福岡県飯塚市など僅かな事例に留まりました。巡り合わせの「運」もあるのでしょうが、当時の時代の流風潮に反しても、事業の原則を受け容れた宗像市民は賢かったのだと思います。いつものように筆者の感想をもってお便りといたします。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。



福岡県宗像市 赤岩喜代子 様
 何年ぶりでしょうか!お元気なお姿に接し、感無量でした。あなたの強い意志と外交能力がなかったなら「ネットワーク事業」は続かなかったでし
ょうね!役所の無理解と戦い、ライバルの営利組織と協調して、よくぞ諦めずに存続させて頂きました。街に競合するカルチャーセンターが来たときの内幕はどなたもご存知無いことでしょうが、小生は忘れておりません!!「学習料」の振り込み手数料を無料にしてくれたむなかたJAとあなたの対外折衝能力が30年の歴史を支えました。ありがとうございました。

福岡県宗像市 市民学習ネットワーク事務局の皆さん
 30周年の式典準備から実施までご苦労様でした。この数年皆様が工夫した実験や広報が実を結びました。学習者数が飛躍的に伸びたのは、「お試し講座」や「出前講座」の工夫のお陰だと思います。指導者と学習者を仲介し、役所と運営委員会の機嫌とバランスを取りながら事業を回すのは並大抵のことではありません。夜遅くまで居残りをして、仕事をこなして来た皆様を「縁の下の力」というのでしょう。ありがとうございました。





新潟県加茂市 山本悦子 様 
 人生の終幕でお会いして、仲良しになるなんて不思議ですね。何で青年の時代に会わなかったのでしょうね。お互い直ぐ近くに居たものを!!小生がチビで、よそ見をしていたんでしょうね!!あなたの明るさ、褒め上手、文才、横田めぐみさん一家の支援でお見せになった継続の意志、みんな最高です!褒め上手におだてられて200号までは行きたいと思っています。「風の便り」が繋いでくれた晩年の不思議なご縁、大事にします。





福岡市 菊川律子 様
 ご挨拶状を頂きました。時代の先頭をかけていますね!まぶしいくらいです。後輩の女性たちのためにも、出来るだけ高く、出来るだけ遠くまで道を拓いて下さい。安倍内閣が5人官女を作ったところで日本文化のひな祭りは何一つ変わりません。すでに二人がこけました。
 若い頃のあなたが「孫のお守りをしながら読書するやさしいおばあさんになりたい」と言っていたことを思い出します。時代があなたに命じていることは逆ですね。あなたは、開拓者になることを命じられているのです!!!
 小生も現役の爺さんとして出来るだけ遠くまで歩きたいと思っています。ご自愛の上のご奮闘をお祈り申し上げます。

神奈川県葉山町 山口恒子 様
 タイムス編集長のお褒めの言葉は実にありがたいことです。お元気でいてください。小生、緑内障のため目が見えなくなって来ましたが、最後まで頑張って書き続けます。「死ぬまでに 一度会わむと 言いやらば 君もかすかに うなづくらむか」(啄木)です。若い啄木はラブレターのつもりだったでしょうが、小生は一期一会の再会願望です。支えて頂いたダイアンを素材にした「国際結婚の社会学」がもうすぐ世に出ます。

北海道札幌市 竹川勝雄 様
 やりましたね!「シニアが拓く未来」届きました。高齢社会の先駆けの発想です。あなたの人脈の賜物ですね。楽しみに読みます。ありがとうございました。

過分の印刷・郵送料をありがとうございました
神奈川県葉山町 山口恒子 様
福岡県宗像市 牧原房代 様



お知らせ


1 第144回生涯教育まちづくり移動フォーラムin 徳地
日時:11月29日(土)〜30日(日)
場所:山口県徳地青少年の家(〒747-0342山口市徳地船路668、☎0835-56-0111
基調提案:生涯教育立国の条件 三浦清一郎
分散会:(1)『地域教育ネット』は可能か?(2)中高年の活動格差にどう対処するか?」、(3)「これからの公民館は?」—「自主防災は進むか?」 

2 第145回生涯教育まちづくりフォーラムin ふくおか
日時:12月20日(土)
場所:場所:福岡県立社会教育総合センター、
  〒811-2402 福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2
  TEL 092-947-3512  
2014年を振り返る「忘年例会」になります。内容は協議中です。
3 第147回移動フォーラムin島根
日時:平成27年1月10日(土)午後〜
場所:島根県益田市
プログラム:子どもフォーラム

4 第148回移動フォーラムin長崎
日時:2月1日(日)
場所:自主グループ「オヤジ夜究教室」の周年事業と協働、
場所:検討中

5 人づくり・地域づくりフォーラムin山口
日時:2月14日(土)〜15日(日)
場所:山口県セミナーパーク(山口市秋穂二島1062(☎083-987-1730
  それぞれにご多忙であることは承知しておりますので、事前に日程だけ押さえて頂ければ幸いです。


編集後記:書かなかった原稿—国際結婚の社会学

 お前の新刊:「国際結婚の社会学」はタイミングがいいぞ、と友人知人からのメールが届きました。NHKの朝ドラで「マッサン」という国際結婚のドラマが始まったという知らせです。台風情報を探していて、偶然見つけました。途中からですが、断片的に2回見ました。1回目は、母親役の泉ピン子さんが、「髪を黒く染めても、日本語を覚えても、箸が使えるようになっても、あんたは日本人にはなれないんだ!国へ帰ってくれ!!」とスコットランドから来た嫁に言いました。泉ピン子は正しいのです!外人は「外の人」であり、決して「内の人」にはなれません。さすがに傷ついた彼女は国へ帰ろうと、荷物をまとめて家を飛び出したという場面でした。
 亡妻を思い出します。彼女にも誰かが似たようなことを言ったことがありました。妻は「国を捨てて来たが、アメリカ人を捨てて来た訳ではない。だから日本人になろうという気もない。日本人になれないことを忘れて日本人になろうとする相撲取り(高見山、小錦?)のような愚かなことは考えていない」と言い放ったのでした。いい度胸だった!最後まで日本人にはなろうとせず、アメリカ人として我が家の墓に眠っています。なつかしい!!
 原作者の意図か、脚本家の発想か、それともテレビ演出家の感性かは知らないが、朝ドラの男たちは「腰抜け」が多いと見ました。2回目は、女主人公がスコットランド風シチューを作って家族に振る舞った時のことです。彼女を嫌っている若い娘が味よくでき上がったシチューに台所にあった塩瓶の塩を全部ぶち込んだのです。喰える筈はありません。しかし、娘の両親の態度は誠に不甲斐ないことでした!!土地に縛られた農耕民族には、異郷で暮らす孤独と不安についての想像力が欠如しているのでしょう!!
 やっかみ娘に対する両親の「叱り方」は誠にお粗末でした。良質の「筋肉文化」は、女を殴るのを「恥」としていましたが、あのバカ娘の尻ぐらいは叩いてしかるべきだったでしょう。一方、事件後のマッサンとスコットランドの嫁は抱き合ってめそめそとお互いを慰め合っていました。アホ臭くて、見るに耐えない!!
 我が父は明治43年の生まれ。朝ドラと同じ時代の空気を吸っています。それゆえ、筆者たちの結婚も、日本では当然歓迎されず、「再び故国の土を踏むな」と言われていました。しかし、「帰郷はオレたちの決めることだ」、「文句があるならこっちから縁を切る」と決めていました。帰国後の混乱が半分収まったある日、アメリカ人妻が「化け物」でないことを実感して優しくなった父が「披露宴をしてもいいぞ」と言ってくれました。私は「日本人に承認してもらわなくてもオレたちは夫婦だ!」と啖呵を切って札幌へ旅立ちました。折角やさしくなろうとした父を傷つけたのは、小生の若気の至りでした。しかし、この国の国際結婚は「戦い」です。弱腰で生き抜くことは出来ないのです。札幌の暮 らしもまた戦いでしたが、細々とした二人の稼ぎを繋いで何とか生き抜きました。もちろん、これらのエピソードは新刊の原稿には書いていません。ニッカウィスキーを創業するまでには、マッサンも強くなるのだろうが、腰抜け男の場面の多い現状の「朝ドラ」は2度と見る気にはなりません!!!

  2015年の「風の便り」更新のご案内(第2回)−あと2年頑張り、200号で打ち止めとすることを決めました。
 11月になりました。今年もお付き合いいただきありがとうございました。「風の便り」は1年更新です。2015年1月号から、これまで通り「風の便り」の実物(ハードコピー)をご希望の方は、住所氏名を明記の上、郵送料と印刷費の合計(170円×12ヶ月):年間2,000円を事務局までお送りください。また、「メルマガ」をご希望の方は、その旨をメールでご連絡いただければ、送付名簿に登録します。

 月刊生涯学習通信「風の便り」169号、cSeiichiro Miura、『編集事務局』三浦清一郎 住所〒811−4177宗像市桜美台29−2、TEL/FAX 0940−33−5416、E-mail  krsmiura@rj8.so-net.ne.jp、今年のハードコピーをご希望の方は、印刷・郵送料として切手130円分を事務局までお送りください。12月号をお届けします。印刷:福岡コロニー